2011/12/31

2011年のまとめ。

まずは演劇関係。
今年作った舞台は3本。
春に新入生歓迎公演として作った「Is」
3年生の引退公演として作った「蛍」
大会用の舞台として作った「ブルーベリー」

いずれも演劇部の生徒と一緒に作った舞台だ。

今年の演劇部は一年生4人、二年生10人、三年生1人。
舞台を作るにはちょうど良い人数だ。
役者希望の生徒と裏方希望の生徒のバランスも良く、皆、真摯に取り組んでくれた。
おかげでとても楽しい活動をすることができた。多謝。

3年生引退公演はいつも既成の脚本でやるのだが、今年は創作。
物語のアイディアを生徒が出してくれた。
大したアイディアを出せないのが自分の弱みだと自覚しているのだが、生徒が出してくれるのであれば、どうにか構成してセリフを書くことができるみたいだ。
しばらくこのやり方で行ってみようと思っている。

その「蛍」だが、超能力モノをできるだけ誠実に書いてみた。
”なんでもあり”にしないように気をつけたのだが、そんなに悪くなかったのではないかと思う。
アリガチな話になってしまったのは能力の範囲内なのでやむを得ない。
まだまだ精進。

「ブルーベリー」は県大会優秀賞と県創作脚本奨励賞をいただいた。
が、今年のような優秀なメンバーを預けていただけたのならば、東北大会まで行かねばならなかっただろうと思う。

土田先輩からは「あの結論を導き出すところまで行けてない」と言っていただいた。
あの結論があるのであれば、どんな手法を使ってもその高みまで上がらねばならない、と。
自分としては45分をフルに使ってあの高さに届くように物語を構成したつもりだったのだが、全然届いていないという土田評だ。

ありがたい。
このような評を下さる先輩がいるので、舞台を作る甲斐がある。
次の作品も頑張りたい。

いま、生徒たちは次の舞台(来年度の新入生歓迎公演)に向けて動き始めている。

今度は一年生の4人芝居になるようだ。
教室公演や、外部の施設での公演になると思う。
ここでどのくらい伸びられるかが来年の活動を決める。
頑張って欲しい。

今年の大きな出来事として、サムライズの上演が無かったことが挙げられる。
メンバーの家庭の事情が大きくて6月に予定していた上演は中止。
その後の活動も休止状態で次の上演のメドも立っていない。

演劇なんてものは簡単に日常生活に負けてしまうものだ。
これまで長い間に渡って上演できていただけでも奇跡的なことだったのだ。
支えるべき仲間がいて、支えてくれる仲間がいて、お互いに「あの人のために頑張ろう」という気持ちがあって、なんとか上演できていたのだろう。

時間の流れはどうしようもない。
しばらくこのまま眠らせておくしかないだろうと思う。

以上、演劇関係。

学校の仕事については一学年の副担任と総務課。
副担任の仕事は学年団のメンバーに恵まれ、とても楽しく勉強になった一年だった。
久しぶりに一学年に入れていただいて、学年集団がゼロから立ち上がっていく様子をわりと客観的に見ることができたと思う。
人と人とが関わりあう事なので、意図したことと結果が違ったり、難しいことも多いわけだが、それでも教育の力っていうのは確かにあるのだなぁと実感させられた。
方向性は間違っていないはずだ。

総務課の仕事については、PTA会報の編集や、90周年記念事業のステージ部門などでお手伝いさせていただいた。
どのくらい役に立てたかは謎だが、たくさんの方々にお世話になった。
本当にありがたいことだと思う。

学校の仕事では無いのだが、今年は組合の用事も多かった。
信頼する先輩から昨年度末に頼みこまれて地区の書記長職を引き受けた。

いつもの通りの安請け合いだったわけだが、思ったよりも出張(といっても有給休暇で出かけるわけだが)が多く、さまざまな交渉事やら、会議やら、学習会やらで学校を空けることが多かった。

誰かがやらなきゃならない事だからな、と言って頂きながらではあるが、心苦しいものがあった。

もちろん大変なだけではなくて、勉強になったことも多いし、貴重な体験をすることもできた。

組合関係で最も印象深かったのは、一週間のボランティア休暇をいただいて、連合ボランティア団の一員として大船渡に行ったこと。

7月のはじめだったから、震災から4ヶ月が経とうとしていたわけだが、なかなか片付けが進まず、10人がかり、3日がかりでようやく一件のお宅の家具出し泥出しを終えたことを思い出す。

あれから忙しさに流され、被災地には行けてないのだが、この寒空の中でどんな思いで過ごしているのだろうかと思うと、何とも言えない。

来年はもっと良い年になりますように。

2011/12/09

実家に寄る。

友人シゲモト君のご尊父様葬儀。
遊佐町で朝の九時からということなので、エツオ先生とヤクワ先生とで出かける。

新庄経由で向かうが、自動車道を走っていると路面が白くなってくる。
冬だ。

戸沢村のあたりでは最上川対岸の山々が、いい感じの水墨画みたいになっている。
舟下りとかしたら良いんだろうなぁ、などと、のんきなことを考えながら運転する。

八時半ころ、到着。
まだ66歳だったそうで、それは若い。
ウチの父親と同い年だ。

人望の厚かった方のようで、たくさんの弔問客が訪れている。
シゲモト君、おつかれさま。
大変だったよね。

十時くらいに葬儀は終わったのだが、
一日お休みをいただいてきたので実家に行ってみる。
たまには親孝行せねばなるまい。

先頃、父も完全に退職したので、毎日日曜日のように暮らしている。
部屋のテレビが42型とかになっていて、狭い部屋なのにこんなに大きいテレビでどうするんだろうと思う。ベッドに座らないと見られないらしい。

3Dがついてるんだ、とかいう事で録画してあった世界遺産3Dを勧められる。
おお、飛び出す、っていうか、奥行きがある。

デジカメで撮った画像をテレビで見られるようにしたのだが、
動画がうまく入っていかない、どうなってるんだ、と聞かれる。

いろいろいじってみる。が、うまくいかない。
ユーザーサポートに電話をかけることに。
結局、デジカメの動画形式をサポートしていない、ということのようだ。

やおらパンフレットを取り出し、このデジカメだと大丈夫か、と聞く父。
たしかにその機種だったら大丈夫みたいだけど、なに?買うんですか?
そうやって、どんどん新しいもの買わなくても良いように思いますよ。おいらは。

親孝行になっているんだか、なっていないんだか判らないが、
4時間ぐらいそのように実家ですごした。
色々と大変なことはあるようだが、いまのところは大丈夫。

帰りに、せっかくだから土門拳記念館に寄る。
平日の午後で他には誰もいない。

実家から車で三分くらいのところだが、長らく訪れてなかった。
小学校の遠足か何かで来たり、大学生の頃に何回か来たり。
ということは、15年振りとかだろうか。

「筑豊のこどもたち」が展示されている。
貧しい。
畳が腐って落ちているし、扉が開かなくて壁板の剥がれたところから出入りしている。
それでも子どもたちは笑いながら暮らしている。
1959年。日本はこういう国だったんだ。

メインの展示は「古寺巡礼」
小学生だったころも凄いと思ってみたが、今、見てもすごい。
見る部分はもちろん違ってたりするのだが、変わらずすごい。

三仏寺投入堂の蔵王権現がお気に入り。
シュっとしてる方も、どういうバランスで立ってるんだろう、とか思うけど、
素朴な方がなんとも言えず良い。

風が強くなってきて、雪が舞ってきた。
東根で風が強い、風が強いなんて言ったって、庄内ではこれが普通だものな。

池の鴨が黒く漂っている。
白鳥が声を上げながら川に向かって飛んでいる。

2011/12/08

志の輔落語in山形

志の輔落語in山形を聞いてきた。
演目は「ディアファミリー」と「八五郎出世」
ディアファミリーも良かったのだが、八五郎出世は本当に素晴らしかった。

長屋住まいの大工で宵越しの銭は持たねえハチ。
彼の目から見える貧しいけれど温かい世界を、覗かせてもらったように思う。

江戸時代に生活したことはないけども、
こういう世界だったら貧しくてもそんなに悪くない。

例えば、老いた母が足を折る。
まとまった金がなくて医者にかかれない。

困っていると長屋の連中が少しづつ出してくれて、医者に見てもらえる。
みんなにお金を返そうと思って質屋に行く。
質屋の親爺は貸せない貸せないと言うけども、結局は大工道具を質草にお金を貸してくれる。

いや、そんな時代が本当にあったのかどうかはわからない。
でも、それだから生きていられるんだよな、と思う。

いくらお城に住まわしてあげよう、って言われたって、
井戸端が無いところでは、人は暮らせない。
井戸はお城にだってあるだろうけど、井戸端は無い。

志の輔が一升は入る大杯の酒を、時間をかけて、それは美味しそうに飲む。
良かったね、ハチ。って思う。

2011/12/04

オフ。

12月に入った。
年賀状の宛名を整理しながら、ぼんやりと考える。

サムライズは全く動かない状況になっている。
何のために、これだけの年月(といっても十年そこそこだが)いろいろなものを脇に押しやってアマチュア社会人演劇をやってきたのだろうか、と最近よく考える。

どうして、それがやれなくなってしまったんだろうか、と思う。
古い日記を読むと「このメンバーでやれる事がまだあるはずだ」と、当時の自分が吠えている様子が見られる。
演劇というのはとても効率の悪い表現方法で、ただ単に自分がやりたいだけ、では全く作る事ができない。
どんな仲間に恵まれるのか、ということが何よりもまず大事だ。

この人たちと一緒ならどこまででも行けるだろう、という根拠の無い確信があって、それで初めて、長く大変な稽古期間を乗り越えることができる。
自分のことだけを考えるのなら、とてもでは無いが続けられない。

だから、そのモチベーションが下がってしまった、という事なのだろう。
少なくとも現状のように、俺が声を上げなければ動かない、というのでは、声を上げる必要を感じる事ができない。

これで良いのかもしれない。
サムライズはとても良いチームだったが、時間の流れには勝つことができない。

この人たちとなら新しい景色が見られるはずだ、という根拠の無い確信が得られる日まで眠らせておいても良いのかもしれない。

始めるのは簡単で、続けるのは大変だけど、一番大変なのはいつだって終わらせる時だ。

今日は一日雨らしい。