村上春樹に「神の子どもたちはみな踊る」という短編集がある。
一番目の作品は「UFOが釧路に降りる」という題名の話。
この中に阪神淡路大震災の折りに、ずーっとテレビのニュースを見続け、そのあと失踪してしまう女性が出てくる。
あの震災からの数日間、僕もずーっとテレビのニュースを見続けて、ああ、読み返さなきゃな、と思っていたのだが、やっと本の山の中から発掘して読むことができた。
何回読んでもよく分からない話なのだが、やっぱり、今回もよく分からなかった。
なぜ、二人の女性はまるで双子のような印象なのか。汚いラーメン屋は何のメタファなのか。どうして片方の女性と性交を試みることになるのか。
おおむね、よくわからないのだが、腑に落ちるところは以前より増えた気もする。
テレビを見続けたのち実家に帰ってしまった妻が「死んでしまった」ことになっている点や、箱の中身が空っぽに感じられるところ、UFOに連れ去られてしまったかもしれないサエキさんの奥さん、そして、最後にシマオさんが胸の上に描く複雑な模様。
そういったところは、たしかにこのように書くべきところだ、というふうに、しっくりと納得することができる。
震災について物語るときに、このような形で物語ることを決めた村上春樹に、改めて尊敬の念を寄せる。
2011/03/29
2011/03/27
仕分けボランティア
土日はボランティア。
やれる時に、やれる人が、ということで、無理をしないように行く。
先週とはずいぶん状況が変わっていて、たくさんの荷物がドッと来て戦場のようになる、ということは無くなった。
代わりに、細かく品物ごとに分類して、丁寧に箱詰めしよう、ということになっていた。
服やオムツであればサイズごとに、医薬品であれば症状別に、ガスカートリッジであればメーカーごとに。
オムツにはお尻拭きを入れ床に敷くバスタオルも同梱する。下着であれば小さな鞄も同梱する。
寝袋とかテントは要請が減っているよ、ということだった。
生活支援の時期に入っているので、衛生用品や消耗品、調味料などに需要が移っているのだそうだ。
と、思ったら、今日の最後の仕事は「封筒型の寝袋ができるだけ多く必要」ということで、寝袋が入っている全ての段ボールを開けて封筒型のものだけ選って詰め直す、というものだった。
なるほど。
アウトドアの人でなければマミー型(サナギみたいな形のね)の寝袋はリラックスできない、ということだろうし、それよりもまだ寝袋を必要としている人がいる、ということなのだ。
もう、二週間も経つというのに、この雪の舞うなか、寒い思いをして横になっている人がいるのだ。
とにかく、ガソリンも無いのだし、現地に行ってもまだ役に立つことは出来ないだろう。
出来ることを、出来るときに。
長期に渡って、お手伝いができるように、肚を据えていこう。
辰野会長は、夕方、天童に戻って来た。
被災地を回ってこられたようだ。
ああ、大学時代にカヌー部で一緒だったアベ君に偶然再会した。
モンベルに勤めているのだそうだ。
17年ぶり?
こんなこともあるんだなぁ、と感慨深い。
やれる時に、やれる人が、ということで、無理をしないように行く。
先週とはずいぶん状況が変わっていて、たくさんの荷物がドッと来て戦場のようになる、ということは無くなった。
代わりに、細かく品物ごとに分類して、丁寧に箱詰めしよう、ということになっていた。
服やオムツであればサイズごとに、医薬品であれば症状別に、ガスカートリッジであればメーカーごとに。
オムツにはお尻拭きを入れ床に敷くバスタオルも同梱する。下着であれば小さな鞄も同梱する。
寝袋とかテントは要請が減っているよ、ということだった。
生活支援の時期に入っているので、衛生用品や消耗品、調味料などに需要が移っているのだそうだ。
と、思ったら、今日の最後の仕事は「封筒型の寝袋ができるだけ多く必要」ということで、寝袋が入っている全ての段ボールを開けて封筒型のものだけ選って詰め直す、というものだった。
なるほど。
アウトドアの人でなければマミー型(サナギみたいな形のね)の寝袋はリラックスできない、ということだろうし、それよりもまだ寝袋を必要としている人がいる、ということなのだ。
もう、二週間も経つというのに、この雪の舞うなか、寒い思いをして横になっている人がいるのだ。
とにかく、ガソリンも無いのだし、現地に行ってもまだ役に立つことは出来ないだろう。
出来ることを、出来るときに。
長期に渡って、お手伝いができるように、肚を据えていこう。
辰野会長は、夕方、天童に戻って来た。
被災地を回ってこられたようだ。
ああ、大学時代にカヌー部で一緒だったアベ君に偶然再会した。
モンベルに勤めているのだそうだ。
17年ぶり?
こんなこともあるんだなぁ、と感慨深い。
2011/03/25
部活再開
JRが開通したので、ぼちぼち部活を始めた。
三月下旬に予定していた老人福祉施設ボランティア公演は全日程が中止になった。
用意していた演目「Is−アイズ−」は校内被服室で、新入生歓迎公演として一回きりの上演になる。発表する機会があるだけでもありがたいと思わねばならない。
三月いっぱいは、さる事情により全員揃うことが出来ないので、春先に向けていろいろと準備する。
いろいろと、の内訳は以下の通り。
1.「今年度のまとめ」冊子を作成。
本当は三年生が卒業する前に作って卒業記念として渡すのがスジだと思うのだが、やっぱり今年度も作ることができなかった。
今回は一年生のモエさんに編集長をお願いしたので、来年度は活動しながら同時並行で記事の収集もできるだろう。そうすると、発行も早めにできるのではなかろうか。
2.新入生部活動紹介のネタ仕込み。
去年は殺陣をやったのだが、今年はダンスの予定。
基礎練習の一環として、長らくエグザイルのchoo choo train(2分ver.)を踊っていたのだが、それを部活動紹介で踊ることにした。
ただし、まだ最後まで完成していない。当初、3月中になんとかする予定だったのだが、登校が封じられていたので未完成。だが、これはシオリさんが何とかしてくれるであろう。
3.体験入部の内容を考える。
いつも通り“基礎練習をして新入生歓迎公演の練習をする”という「部活動見学」の方が楽なのだが、「体験入部」と称してコミュニケーションワークショップのようなことをやる。
演劇は「コミュニケーションが上手くいったりいかなかったりする様子」を見せることが得意な表現様式なので、自分たちがどのようにコミュニケーションをとっているのかということをできるだけ正確に認識するのはとても大事。
ということでワークショップを行なう。
もちろん、単純に楽しいから、ということも有る。
4.ポスター書き
ウチの学校は部活動紹介ポスターの枚数に制限があるのだが、演劇部のポスターは新入生歓迎公演の宣伝、という名目で制限枚数をかなり超えた枚数を貼らせてもらっている。
実は、二年前に制限通りの枚数しか貼らなかった年があって、その時の新入生が一人だったのだ。この地区の中学校に演劇部は無いので、新入生にとってはナンダカワカラナイ部活、の筆頭が演劇部なのだ。PRしないと存在すら知られないままだ。
以上、4点に加えて、四月からは公演の稽古もしていくことになる。
部活再開初日は、とりあえず、まとめ冊子の編集会議。
時間に余裕が無かったので、基礎練習も出来なかった。
次の日は新入生説明会があったので、例年通りチラシを配ってPR。
チラシ配りまで時間があったので、久しぶりに基礎練習をした。
一緒にやったのだが、最近は侍'zの稽古も無く、授業で声を出すこともなかったので、声が出なくなっていた。すぐに衰えるものだ。
黙祷した後、小さな声で宮澤賢治の「雨ニモマケズ」を読む。
教育が仕事なので、自分にできることは有為の人材を育てることだけだ。
デクノボーと呼ばれながら愚直に東奔西走することができる人材を育てることだけだ。
高校生の頃はなぜデクノボーと呼ばれる人になりたいのか、意味が分からなかったけど、今はわかる。
その後、コミュニケーションワークショップの練習。
仕切りは基礎練習隊長のアサミさん。
初めてなので、やっぱりうまくいかない。
何度もやってみるしかないな。俺が仕切るんじゃ面白みがない。
その後、チラシ配りをして、解散。
土日はガソリン無くて学校に来にくい人もいるだろうから、部活無し。
三月下旬に予定していた老人福祉施設ボランティア公演は全日程が中止になった。
用意していた演目「Is−アイズ−」は校内被服室で、新入生歓迎公演として一回きりの上演になる。発表する機会があるだけでもありがたいと思わねばならない。
三月いっぱいは、さる事情により全員揃うことが出来ないので、春先に向けていろいろと準備する。
いろいろと、の内訳は以下の通り。
1.「今年度のまとめ」冊子を作成。
本当は三年生が卒業する前に作って卒業記念として渡すのがスジだと思うのだが、やっぱり今年度も作ることができなかった。
今回は一年生のモエさんに編集長をお願いしたので、来年度は活動しながら同時並行で記事の収集もできるだろう。そうすると、発行も早めにできるのではなかろうか。
2.新入生部活動紹介のネタ仕込み。
去年は殺陣をやったのだが、今年はダンスの予定。
基礎練習の一環として、長らくエグザイルのchoo choo train(2分ver.)を踊っていたのだが、それを部活動紹介で踊ることにした。
ただし、まだ最後まで完成していない。当初、3月中になんとかする予定だったのだが、登校が封じられていたので未完成。だが、これはシオリさんが何とかしてくれるであろう。
3.体験入部の内容を考える。
いつも通り“基礎練習をして新入生歓迎公演の練習をする”という「部活動見学」の方が楽なのだが、「体験入部」と称してコミュニケーションワークショップのようなことをやる。
演劇は「コミュニケーションが上手くいったりいかなかったりする様子」を見せることが得意な表現様式なので、自分たちがどのようにコミュニケーションをとっているのかということをできるだけ正確に認識するのはとても大事。
ということでワークショップを行なう。
もちろん、単純に楽しいから、ということも有る。
4.ポスター書き
ウチの学校は部活動紹介ポスターの枚数に制限があるのだが、演劇部のポスターは新入生歓迎公演の宣伝、という名目で制限枚数をかなり超えた枚数を貼らせてもらっている。
実は、二年前に制限通りの枚数しか貼らなかった年があって、その時の新入生が一人だったのだ。この地区の中学校に演劇部は無いので、新入生にとってはナンダカワカラナイ部活、の筆頭が演劇部なのだ。PRしないと存在すら知られないままだ。
以上、4点に加えて、四月からは公演の稽古もしていくことになる。
部活再開初日は、とりあえず、まとめ冊子の編集会議。
時間に余裕が無かったので、基礎練習も出来なかった。
次の日は新入生説明会があったので、例年通りチラシを配ってPR。
チラシ配りまで時間があったので、久しぶりに基礎練習をした。
一緒にやったのだが、最近は侍'zの稽古も無く、授業で声を出すこともなかったので、声が出なくなっていた。すぐに衰えるものだ。
黙祷した後、小さな声で宮澤賢治の「雨ニモマケズ」を読む。
教育が仕事なので、自分にできることは有為の人材を育てることだけだ。
デクノボーと呼ばれながら愚直に東奔西走することができる人材を育てることだけだ。
高校生の頃はなぜデクノボーと呼ばれる人になりたいのか、意味が分からなかったけど、今はわかる。
その後、コミュニケーションワークショップの練習。
仕切りは基礎練習隊長のアサミさん。
初めてなので、やっぱりうまくいかない。
何度もやってみるしかないな。俺が仕切るんじゃ面白みがない。
その後、チラシ配りをして、解散。
土日はガソリン無くて学校に来にくい人もいるだろうから、部活無し。
2011/03/21
モンベルのアウトドア義援隊ボランティア
facebookでウロウロしていたら、
モンベルが義援品を集めて被災地に送るプロジェクトの現地本部を天童に置いた、という情報を得た。
仕分けのボランティアが足りない、とのこと。
記事を書かれた渡会さんにメッセージを送ってみたら、ボランティアに来ても良い、ということだったので、早速行ってきた。
モンベル、と言えば、高校時代の山道具はザックもシュラフ(夏用も冬用も)も雨具もモンベルだった。
山岳部の部室にはモンベルのカタログがあり、高校生でお金の無い我々は、そのカタログを毎日眺めてすごしていた。ムーンライトテントがどれだけ魅力的だったことか。ストームクルーザーにどれだけ憧れたことか。
社長の辰野という人は滝をカヌーで下るらしい、という話で、カタログには今にも滝を落ちようとしている辰野さんの写真が載っていたりして、その名前はカヌーイストの野田知祐さんがビーパルで連載してるエッセイにもよく出てきたりして、だから、今朝、ボランティアの現場に行って、おはようございますって頭下げたら「こんにちは、モンベルの辰野です」って言われたときは一瞬固まってしまった。
この人が、と思って「滝、カヌーで下ってるのとか、高校時代に見てて、ヒーローでした」とか訳の分からないことを言ったら、「過去形か」と突っ込まれたりして。
仕事は、全国から集まってきた義援品の仕分け。
昨日の時点で10tトラック2台分、2tトラック2台分、計24t分の義援品が大きな工場跡に運び込まれており、広い空間が区分けされ、食料・衣料・テント・シュラフ・コンロ等々に分類され配置されている。
義援品をお送りいただく時に、品目別に段ボールに入れていただく、という事は全国的に広く知れ渡っているようで、ほとんどの段ボールには単一種類の物品が収められている。
具体的な仕事の内容としては、
全ての段ボールを開いて、中身を確認し、仕分けが必要なものについては仕分けを行なう。
その後、余分な空間が無いように段ボールに詰め直し、品名を側面に書き、種類ごとにパレットの上に積み上げ、まとめておく。
というようなもの。
段ボールのサイズがさまざまだし、我々はそういった作業に慣れていないので、積んだり積み直したりを繰り返すと、けっこうな量の肉体労働になる。
お昼には昼食をご馳走していただいた。
震災に関わるボランティアなので基本的にはアゴアシくらい自分で確保すべきなのだと思うのだが、炊き出しをしていただき、非常に恐縮だった。
シチューと炊きたてのご飯、大変、美味しゅうございました。
渡会さんとそのお友達の方々と昼食をご一緒させていただく。
皆さん、気さくで良い方でした。
お話に入れていただいたので、寂しくありませんでした。
午後も作業。
さらにクロネコさんのトラックが到着したので荷下ろし、仕分け。
その後、被災地に向かう4tウイングのトラックが来たので、パレットに積んでおいた仕分け済みの義援品をトラックに積み込む。
隙間なく、ギッシリと積む。
重いものも軽いものもある。大きい段ボールも小さい段ボールもある。
みんなでバケツリレーの要領で積み込む。
今日の作業はここまで。
17時。
ずいぶんたくさん積み込んだ気がしたが、作業場に積んである段ボールを見ると、ほとんど減ってない気がする。それだけたくさんの方々の善意が、集まっているのだ。
明日以降も作業は続くのだが、ほとんど社会人のボランティアなので、平日は人数が減ってしまうだろう。
余裕のある方は、ぜひどうぞ。
4月以降も、この活動は続くそうです。
思ったんだけど、みんな名札をつけた方がいいな。
ガムテープにマジックで名前書いて、胸に貼るだけでいいから。
せっかく一緒に作業をしたのに、名前も知らないのは残念だ。
ひさしぶりの肉体労働。とても有意義でした。
モンベルが義援品を集めて被災地に送るプロジェクトの現地本部を天童に置いた、という情報を得た。
仕分けのボランティアが足りない、とのこと。
記事を書かれた渡会さんにメッセージを送ってみたら、ボランティアに来ても良い、ということだったので、早速行ってきた。
モンベル、と言えば、高校時代の山道具はザックもシュラフ(夏用も冬用も)も雨具もモンベルだった。
山岳部の部室にはモンベルのカタログがあり、高校生でお金の無い我々は、そのカタログを毎日眺めてすごしていた。ムーンライトテントがどれだけ魅力的だったことか。ストームクルーザーにどれだけ憧れたことか。
社長の辰野という人は滝をカヌーで下るらしい、という話で、カタログには今にも滝を落ちようとしている辰野さんの写真が載っていたりして、その名前はカヌーイストの野田知祐さんがビーパルで連載してるエッセイにもよく出てきたりして、だから、今朝、ボランティアの現場に行って、おはようございますって頭下げたら「こんにちは、モンベルの辰野です」って言われたときは一瞬固まってしまった。
この人が、と思って「滝、カヌーで下ってるのとか、高校時代に見てて、ヒーローでした」とか訳の分からないことを言ったら、「過去形か」と突っ込まれたりして。
仕事は、全国から集まってきた義援品の仕分け。
昨日の時点で10tトラック2台分、2tトラック2台分、計24t分の義援品が大きな工場跡に運び込まれており、広い空間が区分けされ、食料・衣料・テント・シュラフ・コンロ等々に分類され配置されている。
義援品をお送りいただく時に、品目別に段ボールに入れていただく、という事は全国的に広く知れ渡っているようで、ほとんどの段ボールには単一種類の物品が収められている。
具体的な仕事の内容としては、
全ての段ボールを開いて、中身を確認し、仕分けが必要なものについては仕分けを行なう。
その後、余分な空間が無いように段ボールに詰め直し、品名を側面に書き、種類ごとにパレットの上に積み上げ、まとめておく。
というようなもの。
段ボールのサイズがさまざまだし、我々はそういった作業に慣れていないので、積んだり積み直したりを繰り返すと、けっこうな量の肉体労働になる。
お昼には昼食をご馳走していただいた。
震災に関わるボランティアなので基本的にはアゴアシくらい自分で確保すべきなのだと思うのだが、炊き出しをしていただき、非常に恐縮だった。
シチューと炊きたてのご飯、大変、美味しゅうございました。
渡会さんとそのお友達の方々と昼食をご一緒させていただく。
皆さん、気さくで良い方でした。
お話に入れていただいたので、寂しくありませんでした。
午後も作業。
さらにクロネコさんのトラックが到着したので荷下ろし、仕分け。
その後、被災地に向かう4tウイングのトラックが来たので、パレットに積んでおいた仕分け済みの義援品をトラックに積み込む。
隙間なく、ギッシリと積む。
重いものも軽いものもある。大きい段ボールも小さい段ボールもある。
みんなでバケツリレーの要領で積み込む。
今日の作業はここまで。
17時。
ずいぶんたくさん積み込んだ気がしたが、作業場に積んである段ボールを見ると、ほとんど減ってない気がする。それだけたくさんの方々の善意が、集まっているのだ。
明日以降も作業は続くのだが、ほとんど社会人のボランティアなので、平日は人数が減ってしまうだろう。
余裕のある方は、ぜひどうぞ。
4月以降も、この活動は続くそうです。
思ったんだけど、みんな名札をつけた方がいいな。
ガムテープにマジックで名前書いて、胸に貼るだけでいいから。
せっかく一緒に作業をしたのに、名前も知らないのは残念だ。
ひさしぶりの肉体労働。とても有意義でした。
2011/03/20
階段
昨晩23時頃、実家の父からメール。
母が階段から落ちて救急車で搬送。現在、日本海病院の集中治療室にいる。
とのこと。
そのメールだけが来て、あとは連絡がとれない。
24時40分頃、電話が繋がる。
目の上を3針、耳の下をグルリ縫ったらしい。
目と耳の機能には問題無し。意識も明瞭。
今すぐどうこう、というわけではなさそうだが、明朝、帰酒することにした。
酒田まで100km。
たいした距離ではないのだがガソリンが無いので、とにかくエコ運転。
軽自動車で燃費が良いのが助かる。
2500回転以下での運行なので、時速が60km/hくらいしか出ない。
救急入り口から入り、父と一緒にHCUに。
右目の上まぶたに見える内出血が痛々しいが、縫い目もきれいだし、しっかりと話せる。
体力を消耗しているようで、しばらく話したら、すぐに眠ってしまった。
母は「大丈夫だから、すぐに帰れ」と言うのだが(そういう人だ)、とりあえず家に帰り父のいれてくれたコーヒーを飲む。
実家の階段はとても急勾配で、僕も小さい頃に足を踏み外して落ちたことがある。
小さい子は身体がやわらかいのでケガなどしないわけだが、母はもちろんそうではない。
二階で暮らすのは止した方がいいんじゃないか、とも言ってみたが、家の間取りがそういうふうになってるので難しいのだろう。
僕ら3人兄弟の子育てをするつもりで建てた家だし、その当時は父も、えーっと、33歳か。そりゃ、老後の事まで考えた設計などしないだろう。
その父もすでに65歳を越えたのだが、今年の9月までは働かねばならないのだと言う。
もう辞めたらいいのに、というような話を、コーヒーを飲みながら、する。
町内会の件でお客さんがいらっしゃったようなので、一人で病院に戻る。
そろそろ昼食の時間だろう。
日本海病院には入ったことが無かったのだが、少し入り組んだ構造になっている。
一人だとちょっと迷う。
病室に入ると、母は眠っていた。
ベッド脇の丸イスに腰掛けて、母の顔を眺めてみる。
元気に話しているときは気付かないわけだが、こうして眠っている様子を見ていると、当然だが、歳をとったのだな、と思う。
こんなに小さい人だったかしら、と思う。
目を覚ますと、父の所在を尋ねてくる。
町内会で、、、と言いかけたら、父がドアを開けて入って来た。
丁度のタイミングなので、少し驚く。
夫婦っていうものはそういうものか。
早く帰れ、というので、家路につく。
帰りも安全運転。
あ、酒田のスーパーでは納豆を売っていたので驚く。
あと山崎パンの流通は一部回復したらしい。アンパンが食べれて嬉しかった。
いいぞヤマパン。
母が階段から落ちて救急車で搬送。現在、日本海病院の集中治療室にいる。
とのこと。
そのメールだけが来て、あとは連絡がとれない。
24時40分頃、電話が繋がる。
目の上を3針、耳の下をグルリ縫ったらしい。
目と耳の機能には問題無し。意識も明瞭。
今すぐどうこう、というわけではなさそうだが、明朝、帰酒することにした。
酒田まで100km。
たいした距離ではないのだがガソリンが無いので、とにかくエコ運転。
軽自動車で燃費が良いのが助かる。
2500回転以下での運行なので、時速が60km/hくらいしか出ない。
救急入り口から入り、父と一緒にHCUに。
右目の上まぶたに見える内出血が痛々しいが、縫い目もきれいだし、しっかりと話せる。
体力を消耗しているようで、しばらく話したら、すぐに眠ってしまった。
母は「大丈夫だから、すぐに帰れ」と言うのだが(そういう人だ)、とりあえず家に帰り父のいれてくれたコーヒーを飲む。
実家の階段はとても急勾配で、僕も小さい頃に足を踏み外して落ちたことがある。
小さい子は身体がやわらかいのでケガなどしないわけだが、母はもちろんそうではない。
二階で暮らすのは止した方がいいんじゃないか、とも言ってみたが、家の間取りがそういうふうになってるので難しいのだろう。
僕ら3人兄弟の子育てをするつもりで建てた家だし、その当時は父も、えーっと、33歳か。そりゃ、老後の事まで考えた設計などしないだろう。
その父もすでに65歳を越えたのだが、今年の9月までは働かねばならないのだと言う。
もう辞めたらいいのに、というような話を、コーヒーを飲みながら、する。
町内会の件でお客さんがいらっしゃったようなので、一人で病院に戻る。
そろそろ昼食の時間だろう。
日本海病院には入ったことが無かったのだが、少し入り組んだ構造になっている。
一人だとちょっと迷う。
病室に入ると、母は眠っていた。
ベッド脇の丸イスに腰掛けて、母の顔を眺めてみる。
元気に話しているときは気付かないわけだが、こうして眠っている様子を見ていると、当然だが、歳をとったのだな、と思う。
こんなに小さい人だったかしら、と思う。
目を覚ますと、父の所在を尋ねてくる。
町内会で、、、と言いかけたら、父がドアを開けて入って来た。
丁度のタイミングなので、少し驚く。
夫婦っていうものはそういうものか。
早く帰れ、というので、家路につく。
帰りも安全運転。
あ、酒田のスーパーでは納豆を売っていたので驚く。
あと山崎パンの流通は一部回復したらしい。アンパンが食べれて嬉しかった。
いいぞヤマパン。
2011/03/19
一週間経ちました。
地震から一週間が経過。
東根ではすっかり日常の生活が戻ってきている。
どこのお店に行っても棚がガラガラであること、とか、ガソリンスタンドに連日長蛇の行列が生じていること、とか、そんなことはあるものの、家でじっとしているだけならば何ということも無い。
今朝、灯油を買いに出かけてみた。
ガソリンを求める車の列は、あいかわらず大変な事になっていたが、欲しいのは灯油なのでスタンドの近くに車を停め、ポリタンクを持って歩く。
20人くらいは並んでいたが、30分程待つと買えた。
偶然、列の後ろに並んでいたのが、いつもタントクルの受付でお世話になる方で、しばらくお話しする事ができたのだが、やはりこの近辺では燃料不足が一番大きな問題だと思われる。
スタンドの方のお話では毎日タンクローリーは来るのだけど、昼までで閉店にするという。売り切れるのだろう。
今日あたりは比較的暖かいので、灯油ストーブも点けないでしのげるのだが、来週はまた冷え込むとのこと。
先日の大雪(楯岡の雪も酷かった!学校総出でズブ濡れで除雪したのに、2時間経ったらまた同じくらい積もってた!少なく見積もっても100cmは積もったはず)の際も思ったのだが、被災地ではどれだけ寒い思いをして避難所暮らしをしてらっしゃるだろうか。
本当に天を仰ぐしかない。
JR奥羽本線の復旧見通しが立たないので、生徒の登校は最小限にとどめる事、という通達が来た。
学校は24日の修了式/離任式までお休み。
部活で登校させるのも望ましくない、とのことで一切の部活動がストップ。
ボランティア上演も無しになってしまった。
しかし、まあ、元気で暮らせるだけでもありがたいと思わねばならない。
侍'zもガソリンのメドがつくまでお休み。北は新庄、南は山形から集まって稽古をしているので、ガソリンが来ないのでは身動きが取れない。
原子力発電所が大変な事になっていて、学校にいるとあちこちから解説を求められる。
一応、理科を教えて暮らしているので、噛み砕いて説明をしたいのだが、なかなか難しい。
半減期、って言葉をうっかり使ったりすると、半減期の説明をするために更にヤヤコしい事を説明しなきゃならなくなったりして。
本当に「一言で説明できないようなモノ」の恩恵で、我々は普段の生活を成り立たせているんだなぁ、と痛感。
政府の言う「20km圏内退避。30km圏内屋内待機」は、妥当だろう、と思う。
データが偽りの無いものなら、論理的に考えて、その措置で大丈夫だと思う。
一方で、心情としては、危ない距離では無いけど逃げたい、という気持ちもよく分かる。
例えば自分が35kmの場所に住んでいたとして、危なくないから普段通りに暮らしても大丈夫だ、と頭でわかっていても、心穏やかに暮らせるとは思えない。
この一週間は自分の弱さと向き合わなければならないことが、ずいぶんたくさんあった。
結局ガソリンだって2000円分詰めてしまったのだし、電池だって少し買いすぎたように思う。
元来、弱い人間なので、あまり大した事はできないし、言ってることとやってることが違うじゃないか、ということもある。
あるのだけど、それでも何か自分に出来ることは無いだろうか。
東根ではすっかり日常の生活が戻ってきている。
どこのお店に行っても棚がガラガラであること、とか、ガソリンスタンドに連日長蛇の行列が生じていること、とか、そんなことはあるものの、家でじっとしているだけならば何ということも無い。
今朝、灯油を買いに出かけてみた。
ガソリンを求める車の列は、あいかわらず大変な事になっていたが、欲しいのは灯油なのでスタンドの近くに車を停め、ポリタンクを持って歩く。
20人くらいは並んでいたが、30分程待つと買えた。
偶然、列の後ろに並んでいたのが、いつもタントクルの受付でお世話になる方で、しばらくお話しする事ができたのだが、やはりこの近辺では燃料不足が一番大きな問題だと思われる。
スタンドの方のお話では毎日タンクローリーは来るのだけど、昼までで閉店にするという。売り切れるのだろう。
今日あたりは比較的暖かいので、灯油ストーブも点けないでしのげるのだが、来週はまた冷え込むとのこと。
先日の大雪(楯岡の雪も酷かった!学校総出でズブ濡れで除雪したのに、2時間経ったらまた同じくらい積もってた!少なく見積もっても100cmは積もったはず)の際も思ったのだが、被災地ではどれだけ寒い思いをして避難所暮らしをしてらっしゃるだろうか。
本当に天を仰ぐしかない。
JR奥羽本線の復旧見通しが立たないので、生徒の登校は最小限にとどめる事、という通達が来た。
学校は24日の修了式/離任式までお休み。
部活で登校させるのも望ましくない、とのことで一切の部活動がストップ。
ボランティア上演も無しになってしまった。
しかし、まあ、元気で暮らせるだけでもありがたいと思わねばならない。
侍'zもガソリンのメドがつくまでお休み。北は新庄、南は山形から集まって稽古をしているので、ガソリンが来ないのでは身動きが取れない。
原子力発電所が大変な事になっていて、学校にいるとあちこちから解説を求められる。
一応、理科を教えて暮らしているので、噛み砕いて説明をしたいのだが、なかなか難しい。
半減期、って言葉をうっかり使ったりすると、半減期の説明をするために更にヤヤコしい事を説明しなきゃならなくなったりして。
本当に「一言で説明できないようなモノ」の恩恵で、我々は普段の生活を成り立たせているんだなぁ、と痛感。
政府の言う「20km圏内退避。30km圏内屋内待機」は、妥当だろう、と思う。
データが偽りの無いものなら、論理的に考えて、その措置で大丈夫だと思う。
一方で、心情としては、危ない距離では無いけど逃げたい、という気持ちもよく分かる。
例えば自分が35kmの場所に住んでいたとして、危なくないから普段通りに暮らしても大丈夫だ、と頭でわかっていても、心穏やかに暮らせるとは思えない。
この一週間は自分の弱さと向き合わなければならないことが、ずいぶんたくさんあった。
結局ガソリンだって2000円分詰めてしまったのだし、電池だって少し買いすぎたように思う。
元来、弱い人間なので、あまり大した事はできないし、言ってることとやってることが違うじゃないか、ということもある。
あるのだけど、それでも何か自分に出来ることは無いだろうか。
2011/03/12
地震翌日。
3月11日、14時46分、地震。
縦揺れを含む、大きな横揺れ。
揺れが弱くなったところで外を見てみると、何人かの先生が玄関から外に出ており、中に居ると危険だから降りてこい、という。
まだ揺れが収まっていないが、とにかく階段を降りて外に出る。
外は小雪。
校舎はこの夏に耐震工事をしたばかり。とにかく持ちこたえてくれたのは偉い。
揺れの収まりを待って、校内のチェック。
職員室の蛍光灯を吊り下げている支持棒が天井から外れ、蛍光灯全体が傾いてぶら下がっている。というのが4灯。
薬品庫を確認しに行くが、特に薬品の漏れ等も無い。狭い薬品庫にいる間にも大きめの余震が二回。
携帯電話はかなり混雑している。
まれに繋がるがすぐに切れる。
メールは10回のうち2回くらいは、送れるかもしれない。届くかどうかは不明。
入試関係の業務をしていたのだが、全て中止して帰宅。16時。
停電につき、信号が消えている。
消防団の方が法被を着て、十字路に立ってらっしゃる。頭が下がる思いだ。
家に寄って妻の安全を確認。棚なども倒れずに済んだようだ。
タントクルセンターに行き、演劇部の生徒たちの安否を確認。何人かはすでに帰宅してしまった様子。携帯電話でその場待機を指示したのだが、メールが届かなかったようだ。
保護者の方に迎えに来ていただき、全員帰宅を見届ける。
一人、友人宅に避難していて所在不明になった生徒がおり、しばらく慌てる。
タントクルセンターは市の避難所になっているようだ。
発電機が起動して、自動ドアが動きだし、電気が点く。すばらしい。
市民の方が避難に訪れる。消防の方が箱に入った毛布を受付に届けに来る。
演劇部員全員の無事が一応確認できたので帰宅。18時30分。
町は完全に停電。
信号は無いのだが、自動車の往来はさほど不便しないようだ。
ヘッドライトを点滅させたりして、十字路も混乱無く走れる。
自宅も、もちろん停電。
うちは灯油ストーブを使っているので、その炎と懐中電灯の明かりですごす。
さきほど、演劇部の保護者の方にいただいた食パンをかじる。
妻がパスタを茹でてくれる。
ガスはプロパンだし、幸いなことに水道も大丈夫。
携帯電話の充電はずっと以前にコンビニで買った乾電池式の充電器を使用。
乾電池が6本程あるので、それで凌ごう。
懐中電灯はLED式のもの。白色光だし、電池の消費も少ない。
携帯ワンセグで情報を得る。
見たこともないような津波。火災。どうなっているんだ。
余震も続く。大きい揺れが来るたびに二人で棚を押さえる。
妻がギターを弾く。音楽の力は大きい。
冷え込みが厳しい。水道の凍結を防ぐために元栓を閉める。
とりあえず布団に入ってみるが、うまく眠れない。
目覚めるたびに、携帯のワンセグを見る。
夜明けまでの時間を数える。
余震は止まない。
明けて12日。
妻は夜明け前に起きてしまったようだ。
とりあえず、学校に行ってみる。雪が積もっている。
2学年が保護者を含む集会を予定していたのだが、中止(延期?)。一応、二学年担任団が出勤し、電話対応などをしている。学校の電話は一本だけ非常用で通じる回線がある。
とにかく電池が欲しいので、近くのツルハに歩いて行くも開店せず。
近所のダイユーエイトに行ってみる。
駐車場に車が停まっている。開店しているらしい。入り口に行列。並んでみる。
最初、若干の混乱。満員電車程度の混雑。
停電のためレジが動かず、品名、JANコード?、品数、値段をメモした上で、電卓で計算してお金のやりとりをしているようだ。
なかなか列が動かず、誰かが大きな声を出したりする。が、まわりが宥めたのか、すぐに落ち着く。
入場規制が敷かれて一人当たりの空間が広がり、空気が安定する。混雑は敵だ。
知らない人同士だが、ボソボソと情報交換したりする。時折、笑いが起きたりする。互いをいたわるような、笑い。
レジ近くの空間だけ解放されて、乾電池、ロウソク・マッチ、カップラーメン等が並べられている。必要ならば店員さんに言うと持って来てくれる。
乾電池は豊富にある。いつまで電力供給が止まったままなのか分からないので多めに買う。単三電池の16本パック。それから使い捨てライターを一本。最低限のものだけを買おう。
出口のところで、マサル先生に会う。乾電池はまだ十分にあるよ。大丈夫。
教え子のコースケにも会う。彼は介護職だが、職場の買い出しで来ているようだ。偉い。頑張ってくれ。
隣のヤマザワは行列になっているので、通り過ぎる。
村山のオーバンに行くと、玄関先で長机を並べて営業をしている。食パン一斤、カップラーメン4つ、鶏肉1パックを所望。買いすぎないように、買いすぎないように、と自分に言い聞かせる。
晴れていて良かった。これが吹雪ならこんな事はできなかったろう。
とりあえず、帰宅。
妻が眠っている。が、帰宅の物音で起きてしまう。睡眠が浅くて疲れが取れていない様子。
避難所暮らしの方のご苦労を思う。
鶏肉をフライパンで炒める。
買い置きの鶏肉もあったので、少し塩をして、全部炒める。
冷蔵庫は動いていない。
妻が野菜と灯油がない、というのでさらに買い出しに出かける。
なんだか、道路が通行止めになっているので、引き返して迂回する。なんだったんだろう。救急車かな。救急車と消防車のサイレンはとても多い。
今度は東根のオーバン。
入り口のところで、店員さんがメモを取ってくれて中から商品を持って来てくれる。外のテントで会計するシステム。もちろん電卓で手計算。
白菜1/4、トマトジュース、タマネギ、チャルメラ5食パックを購入。
東根のイオンに行くが、完全に閉店。張り紙には売り切れの文字。
他のお客さんが困っていたので、オーバンは開いている旨、伝える。
灯油が無いのでガソリンスタンドに向かう。
踏切に通行止めが置かれており、遮断機が半分閉まっているが、電車は走っていないはずなので注意して渡る。
途中のセーブオンでも店先で販売しているので、寄る。
シュークリームが山積みになっていたので買う。あと、レトルトカレーも。
ガソリンスタンド付近はひどい混雑。
ガソリンそのものはまだ半分くらいあるので大丈夫。灯油だけ欲しい。
30分くらい並ぶ。その都度アイドリングストップ。
公家さんからメール、ご実家は福島中通り。皆さん無事とのこと、何より。
順番が来て、灯油は、、、と聞くと売ってないらしい。どこに行っても品切れじゃないか、という話。
スタンドを出てから、ガソリン入れて来るんだったか、とチラと後悔。
いや、大丈夫、まだあるんだから、必要なものだけ買おう。
帰宅。眠くなってしまったので、少し寝る。
本当は日のあるうちにいろいろやっておいた方が良いのだろうが、一通りやってしまったので何とかなるだろう。
16時すぎに目覚める。
余震は続く。携帯のテレビを見る。
西の空がぼんやりと赤くなっていく。おだやかな夕焼け。
18時、電力復旧。
良かった。
全体として電力が足りていない、とのことなので、最小限の電力使用にする。
妻がインターネットは電気をすごく使う、というので、メールを送ってはスリープさせ、を繰り返す。
とにかく電気がある、ということがどれだけありがたいことか。
ネット経由で多くの方から励ましをいただく。多謝。
山形は被害が少ないです。太平洋側が酷いことになってます。
この度の地震で被災されたみなさまに心からお見舞い申し上げます。
縦揺れを含む、大きな横揺れ。
揺れが弱くなったところで外を見てみると、何人かの先生が玄関から外に出ており、中に居ると危険だから降りてこい、という。
まだ揺れが収まっていないが、とにかく階段を降りて外に出る。
外は小雪。
校舎はこの夏に耐震工事をしたばかり。とにかく持ちこたえてくれたのは偉い。
揺れの収まりを待って、校内のチェック。
職員室の蛍光灯を吊り下げている支持棒が天井から外れ、蛍光灯全体が傾いてぶら下がっている。というのが4灯。
薬品庫を確認しに行くが、特に薬品の漏れ等も無い。狭い薬品庫にいる間にも大きめの余震が二回。
携帯電話はかなり混雑している。
まれに繋がるがすぐに切れる。
メールは10回のうち2回くらいは、送れるかもしれない。届くかどうかは不明。
入試関係の業務をしていたのだが、全て中止して帰宅。16時。
停電につき、信号が消えている。
消防団の方が法被を着て、十字路に立ってらっしゃる。頭が下がる思いだ。
家に寄って妻の安全を確認。棚なども倒れずに済んだようだ。
タントクルセンターに行き、演劇部の生徒たちの安否を確認。何人かはすでに帰宅してしまった様子。携帯電話でその場待機を指示したのだが、メールが届かなかったようだ。
保護者の方に迎えに来ていただき、全員帰宅を見届ける。
一人、友人宅に避難していて所在不明になった生徒がおり、しばらく慌てる。
タントクルセンターは市の避難所になっているようだ。
発電機が起動して、自動ドアが動きだし、電気が点く。すばらしい。
市民の方が避難に訪れる。消防の方が箱に入った毛布を受付に届けに来る。
演劇部員全員の無事が一応確認できたので帰宅。18時30分。
町は完全に停電。
信号は無いのだが、自動車の往来はさほど不便しないようだ。
ヘッドライトを点滅させたりして、十字路も混乱無く走れる。
自宅も、もちろん停電。
うちは灯油ストーブを使っているので、その炎と懐中電灯の明かりですごす。
さきほど、演劇部の保護者の方にいただいた食パンをかじる。
妻がパスタを茹でてくれる。
ガスはプロパンだし、幸いなことに水道も大丈夫。
携帯電話の充電はずっと以前にコンビニで買った乾電池式の充電器を使用。
乾電池が6本程あるので、それで凌ごう。
懐中電灯はLED式のもの。白色光だし、電池の消費も少ない。
携帯ワンセグで情報を得る。
見たこともないような津波。火災。どうなっているんだ。
余震も続く。大きい揺れが来るたびに二人で棚を押さえる。
妻がギターを弾く。音楽の力は大きい。
冷え込みが厳しい。水道の凍結を防ぐために元栓を閉める。
とりあえず布団に入ってみるが、うまく眠れない。
目覚めるたびに、携帯のワンセグを見る。
夜明けまでの時間を数える。
余震は止まない。
明けて12日。
妻は夜明け前に起きてしまったようだ。
とりあえず、学校に行ってみる。雪が積もっている。
2学年が保護者を含む集会を予定していたのだが、中止(延期?)。一応、二学年担任団が出勤し、電話対応などをしている。学校の電話は一本だけ非常用で通じる回線がある。
とにかく電池が欲しいので、近くのツルハに歩いて行くも開店せず。
近所のダイユーエイトに行ってみる。
駐車場に車が停まっている。開店しているらしい。入り口に行列。並んでみる。
最初、若干の混乱。満員電車程度の混雑。
停電のためレジが動かず、品名、JANコード?、品数、値段をメモした上で、電卓で計算してお金のやりとりをしているようだ。
なかなか列が動かず、誰かが大きな声を出したりする。が、まわりが宥めたのか、すぐに落ち着く。
入場規制が敷かれて一人当たりの空間が広がり、空気が安定する。混雑は敵だ。
知らない人同士だが、ボソボソと情報交換したりする。時折、笑いが起きたりする。互いをいたわるような、笑い。
レジ近くの空間だけ解放されて、乾電池、ロウソク・マッチ、カップラーメン等が並べられている。必要ならば店員さんに言うと持って来てくれる。
乾電池は豊富にある。いつまで電力供給が止まったままなのか分からないので多めに買う。単三電池の16本パック。それから使い捨てライターを一本。最低限のものだけを買おう。
出口のところで、マサル先生に会う。乾電池はまだ十分にあるよ。大丈夫。
教え子のコースケにも会う。彼は介護職だが、職場の買い出しで来ているようだ。偉い。頑張ってくれ。
隣のヤマザワは行列になっているので、通り過ぎる。
村山のオーバンに行くと、玄関先で長机を並べて営業をしている。食パン一斤、カップラーメン4つ、鶏肉1パックを所望。買いすぎないように、買いすぎないように、と自分に言い聞かせる。
晴れていて良かった。これが吹雪ならこんな事はできなかったろう。
とりあえず、帰宅。
妻が眠っている。が、帰宅の物音で起きてしまう。睡眠が浅くて疲れが取れていない様子。
避難所暮らしの方のご苦労を思う。
鶏肉をフライパンで炒める。
買い置きの鶏肉もあったので、少し塩をして、全部炒める。
冷蔵庫は動いていない。
妻が野菜と灯油がない、というのでさらに買い出しに出かける。
なんだか、道路が通行止めになっているので、引き返して迂回する。なんだったんだろう。救急車かな。救急車と消防車のサイレンはとても多い。
今度は東根のオーバン。
入り口のところで、店員さんがメモを取ってくれて中から商品を持って来てくれる。外のテントで会計するシステム。もちろん電卓で手計算。
白菜1/4、トマトジュース、タマネギ、チャルメラ5食パックを購入。
東根のイオンに行くが、完全に閉店。張り紙には売り切れの文字。
他のお客さんが困っていたので、オーバンは開いている旨、伝える。
灯油が無いのでガソリンスタンドに向かう。
踏切に通行止めが置かれており、遮断機が半分閉まっているが、電車は走っていないはずなので注意して渡る。
途中のセーブオンでも店先で販売しているので、寄る。
シュークリームが山積みになっていたので買う。あと、レトルトカレーも。
ガソリンスタンド付近はひどい混雑。
ガソリンそのものはまだ半分くらいあるので大丈夫。灯油だけ欲しい。
30分くらい並ぶ。その都度アイドリングストップ。
公家さんからメール、ご実家は福島中通り。皆さん無事とのこと、何より。
順番が来て、灯油は、、、と聞くと売ってないらしい。どこに行っても品切れじゃないか、という話。
スタンドを出てから、ガソリン入れて来るんだったか、とチラと後悔。
いや、大丈夫、まだあるんだから、必要なものだけ買おう。
帰宅。眠くなってしまったので、少し寝る。
本当は日のあるうちにいろいろやっておいた方が良いのだろうが、一通りやってしまったので何とかなるだろう。
16時すぎに目覚める。
余震は続く。携帯のテレビを見る。
西の空がぼんやりと赤くなっていく。おだやかな夕焼け。
18時、電力復旧。
良かった。
全体として電力が足りていない、とのことなので、最小限の電力使用にする。
妻がインターネットは電気をすごく使う、というので、メールを送ってはスリープさせ、を繰り返す。
とにかく電気がある、ということがどれだけありがたいことか。
ネット経由で多くの方から励ましをいただく。多謝。
山形は被害が少ないです。太平洋側が酷いことになってます。
この度の地震で被災されたみなさまに心からお見舞い申し上げます。
2011/03/06
お墓参り
3月10日は義母の命日なので、秋田までお墓参りに行って来た。
東北中央道が断続的に開通しているので、意外に早く到着する。
尾花沢ー新庄、金山の県境手前付近、雄勝ー横手。
横手から秋田までも高速道路が通っているのだけど、ここは有料区間なので利用せず。
4時間ちょっとあれば着くようだ。
休憩無しで走ったので少しくたびれてしまったらしい、夜の10時くらいにSPを見ながら眠ってしまう。
岡田くん恰好いい、っていうのと香川照之はすごいなぁ、っていうのしか覚えてない。
妻の実家には二匹の犬がいるのだが、シャンという子の方はだんだん老いてきてイボとかができている。正月前にはけっこう大きな手術をしたそうだ。
術後は良好らしいので安心だが、犬が年を取っていくのをみるのは、やはり切ない。
で、秋田の家は断熱がしっかりしていて、寒くない。というか、暑い。
暑くて目が覚めてしまう。
さらに、普段は平べったい布団に寝ているので、ベッドで眠ると身体がマットの中に沈んでバキバキに凝ってしまう。
いかに我々が貧しい暮らしをしているか、ということなのだが、ま、それは仕方ないよね。
で、途中で何度も起きるので、その度に物語のプロットについて考える。
春の定期公演の演目だが、今年も書いてみようかと思うのだ。
1人しかいない二年生にどんなのがやりたい?と聞いてみたら、超能力ものだと言う。
超能力ものって、舞台の上でやるのはとても難しいと思うのだが、定期公演だし、やりたいことを好きにやるってのは大事だろう。
土田先輩も以前は毎年春に、無茶な恋愛ミュージカルを書いてたっていうし。
超能力ものといえば、宮部みゆきの「クロスファイア」の元になった短編集「鳩笛草」とか、伊坂幸太郎の「魔王」とか、とても好きなので、ああいう話が書けるといいなぁ、と思う。
や、そりゃ、もちろんそんなの書けるはずは無いのだが。
昼前にお墓まで出かけていってお参り。
今年は雪が少ないらしく、山の上のお墓まで行くことができる。
長靴ではないので、かなり用心深く雪を踏み固めないと大変。
山から降りて来て、お寺さんの中の位牌堂で供物を並べていると雨が降って来る。
来年は十三回忌。
帰り道も高速道路を使ったのだが、秋田のイオンと大曲のイオンをはしごする。
妻が春物を買いたかったらしい。
女の子向けの洋服売り場を延々とお供する。
柔らかそうな服が多くて和むわね。
帰りは新庄の一龍であんかけ焼きそばを食べる。
山形市内の一龍は全撤退してしまい、新庄の一龍が残っているのは知っていたのだが、中に入るのは数年ぶりだった。5年?8年?や、10年?
テーブルの上に載った焼きそばの量が多いので怯む。
こんなに多かったっけ。
東北中央道が断続的に開通しているので、意外に早く到着する。
尾花沢ー新庄、金山の県境手前付近、雄勝ー横手。
横手から秋田までも高速道路が通っているのだけど、ここは有料区間なので利用せず。
4時間ちょっとあれば着くようだ。
休憩無しで走ったので少しくたびれてしまったらしい、夜の10時くらいにSPを見ながら眠ってしまう。
岡田くん恰好いい、っていうのと香川照之はすごいなぁ、っていうのしか覚えてない。
妻の実家には二匹の犬がいるのだが、シャンという子の方はだんだん老いてきてイボとかができている。正月前にはけっこう大きな手術をしたそうだ。
術後は良好らしいので安心だが、犬が年を取っていくのをみるのは、やはり切ない。
で、秋田の家は断熱がしっかりしていて、寒くない。というか、暑い。
暑くて目が覚めてしまう。
さらに、普段は平べったい布団に寝ているので、ベッドで眠ると身体がマットの中に沈んでバキバキに凝ってしまう。
いかに我々が貧しい暮らしをしているか、ということなのだが、ま、それは仕方ないよね。
で、途中で何度も起きるので、その度に物語のプロットについて考える。
春の定期公演の演目だが、今年も書いてみようかと思うのだ。
1人しかいない二年生にどんなのがやりたい?と聞いてみたら、超能力ものだと言う。
超能力ものって、舞台の上でやるのはとても難しいと思うのだが、定期公演だし、やりたいことを好きにやるってのは大事だろう。
土田先輩も以前は毎年春に、無茶な恋愛ミュージカルを書いてたっていうし。
超能力ものといえば、宮部みゆきの「クロスファイア」の元になった短編集「鳩笛草」とか、伊坂幸太郎の「魔王」とか、とても好きなので、ああいう話が書けるといいなぁ、と思う。
や、そりゃ、もちろんそんなの書けるはずは無いのだが。
昼前にお墓まで出かけていってお参り。
今年は雪が少ないらしく、山の上のお墓まで行くことができる。
長靴ではないので、かなり用心深く雪を踏み固めないと大変。
山から降りて来て、お寺さんの中の位牌堂で供物を並べていると雨が降って来る。
来年は十三回忌。
帰り道も高速道路を使ったのだが、秋田のイオンと大曲のイオンをはしごする。
妻が春物を買いたかったらしい。
女の子向けの洋服売り場を延々とお供する。
柔らかそうな服が多くて和むわね。
帰りは新庄の一龍であんかけ焼きそばを食べる。
山形市内の一龍は全撤退してしまい、新庄の一龍が残っているのは知っていたのだが、中に入るのは数年ぶりだった。5年?8年?や、10年?
テーブルの上に載った焼きそばの量が多いので怯む。
こんなに多かったっけ。
2011/03/02
卒業式
3月1日は卒業式だった。
三年ぶりに学年団に入れてもらったのだが、やはり学校というところは学年に入っていてこそ楽しい、ということを実感した一年間だった。
担任団に入っていると、生徒と直接向かい合う機会が格段に多くなる。
ほんとはクラス担任が一番楽しいに決まっているのだが(と同時に、忙しさも一番なのだが)しかし担任になれる人数は限られているので、それは仕方ない。
卒業式が終わると、部活動の後輩たちが昇降口の外で先輩を待っていて、部活動ごとに花束を渡したり写真を撮ったりする。
今年は比較的天候が穏やかだったので、待っている下級生も少しは楽だったようだ。
書道のマサル先生の計らいだろうか、「祝卒業」と墨痕鮮やかな大きな書がパネルに貼ってあって、その前で集合写真が撮れるようになっていた。
演劇部のみんなも、最後のホームルームを終えて出て来る。
ちょっと広いところに移動して、花束贈呈と写真撮影。
彼らが一年生のときの最初の定期公演から、最後の定期公演まで5作品を収めたDVDを記念に渡す。
ハグイの制服のボタンがあちこち取れているのが微笑ましい。
モリタニのボタンが取れてないのも微笑ましい。
彼らとは、これから先もずっと関係が続くと思っているので、これが長いお別れになるわけではない。とりあえず、夏まで達者に暮らせよ、という感じで送り出すことができた。
その後、アンジェリーナで祝賀会。
たくさんの保護者の方にお話を伺うことができた。
家庭の教育力っていうのは、本当に大きなものだな、と実感する。
たとえば、看護系に進学した高橋さん。
彼女の面接練習をした時に、コミュニケーション能力の高さに感心したのだが、お母さんの話では幼少の頃は全く要領を得ない話ぶりだったそうだ。
夕飯を作っているお母さんの腰のところで、幼い彼女は一生懸命話をするのだが、何がどうしたのか、全然わからなかったと言う。
で、お母さんは、根気づよく彼女の話に質問を挟みながら毎日聞いてあげたらしい。
なるほど。
あるいは、化学にすすんだマコト君。
彼は中学生の頃にテルミット反応を自力でやってみた、という経験を持つ。
お父さんがいろいろと準備してくれたのだという。その時は失敗したのだが、高校でテルミットを見て、いたく感動したらしい。
そのお父さんの話も聞くことができた。お父さんは中学校技術の先生で、彼のために、というよりは、むしろお父さん自身が楽しんで(酔っぱらって、なんて仰ってたが)実験をしていたようだ。
父親がそうやって楽しんでいれば、そりゃ、息子だって化学が好きになるだろう。
そういう話を保護者の方から直接聞けるっていうのが、祝賀会のいい所よね。
みなさん、ご卒業おめでとうございました。
中期、後期試験を受験するみなさんは、もう少しのあいだ、頑張りましょう。
三年ぶりに学年団に入れてもらったのだが、やはり学校というところは学年に入っていてこそ楽しい、ということを実感した一年間だった。
担任団に入っていると、生徒と直接向かい合う機会が格段に多くなる。
ほんとはクラス担任が一番楽しいに決まっているのだが(と同時に、忙しさも一番なのだが)しかし担任になれる人数は限られているので、それは仕方ない。
卒業式が終わると、部活動の後輩たちが昇降口の外で先輩を待っていて、部活動ごとに花束を渡したり写真を撮ったりする。
今年は比較的天候が穏やかだったので、待っている下級生も少しは楽だったようだ。
書道のマサル先生の計らいだろうか、「祝卒業」と墨痕鮮やかな大きな書がパネルに貼ってあって、その前で集合写真が撮れるようになっていた。
演劇部のみんなも、最後のホームルームを終えて出て来る。
ちょっと広いところに移動して、花束贈呈と写真撮影。
彼らが一年生のときの最初の定期公演から、最後の定期公演まで5作品を収めたDVDを記念に渡す。
ハグイの制服のボタンがあちこち取れているのが微笑ましい。
モリタニのボタンが取れてないのも微笑ましい。
彼らとは、これから先もずっと関係が続くと思っているので、これが長いお別れになるわけではない。とりあえず、夏まで達者に暮らせよ、という感じで送り出すことができた。
その後、アンジェリーナで祝賀会。
たくさんの保護者の方にお話を伺うことができた。
家庭の教育力っていうのは、本当に大きなものだな、と実感する。
たとえば、看護系に進学した高橋さん。
彼女の面接練習をした時に、コミュニケーション能力の高さに感心したのだが、お母さんの話では幼少の頃は全く要領を得ない話ぶりだったそうだ。
夕飯を作っているお母さんの腰のところで、幼い彼女は一生懸命話をするのだが、何がどうしたのか、全然わからなかったと言う。
で、お母さんは、根気づよく彼女の話に質問を挟みながら毎日聞いてあげたらしい。
なるほど。
あるいは、化学にすすんだマコト君。
彼は中学生の頃にテルミット反応を自力でやってみた、という経験を持つ。
お父さんがいろいろと準備してくれたのだという。その時は失敗したのだが、高校でテルミットを見て、いたく感動したらしい。
そのお父さんの話も聞くことができた。お父さんは中学校技術の先生で、彼のために、というよりは、むしろお父さん自身が楽しんで(酔っぱらって、なんて仰ってたが)実験をしていたようだ。
父親がそうやって楽しんでいれば、そりゃ、息子だって化学が好きになるだろう。
そういう話を保護者の方から直接聞けるっていうのが、祝賀会のいい所よね。
みなさん、ご卒業おめでとうございました。
中期、後期試験を受験するみなさんは、もう少しのあいだ、頑張りましょう。
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