2019/09/30

耳鼻科その2

16時から有休をもらって、娘を医者に連れていった。
診察と機械による検査が終わって待合室で待っていると、診察室に呼ばれ、先生に「薬が無くなったら来週またおいで」と言われる。

あんまり突然でちょっと良くわからなかったので「いただいた薬は今日の夕方分で終わりなんですけど」と言うと、「新しい薬、出したから。一週間分。また来週の月曜日に来て」との答え。

診察の結果も検査の結果も聞いていないので、何がなんだか分からなかったが、とにかく、来週の月曜にまた来る必要があるということだけは、分かった。

ずいぶん忙しいようなので、わかりましたと返事をして、受付で処方箋をもらい、土曜日と同様、隣の薬局で調剤してもらう。
出ていた薬はアレルギーの薬。

薬剤師さんに、これ、なんでアレルギーの薬なんですかね?と聞いてみる。
聞かれた薬剤師さんも困ったと思うのだけど、でも前回出ていた抗生物質は今回出てないから、切開したところは良くなってるってことなのでは。と言われる。
なるほど。
しかし、それにしても、なぜアレルギーの薬なのか。

家に帰って妻に話すと、ちょっと怖いよね、ということになる。
できれば、余計な薬は飲ませたくない。

電話して聞いてみた。
診察室で面倒を見てくれたらしい看護師さんの話によると、要するに
①中耳炎の原因は鼻から来ている(娘はここ最近風邪を引いていて鼻水がでていた)
②鼻水がアレルギー性のものかどうかは、血液検査をしてみなければ分からないが、うちは幼児には血液検査をしないことにしている。
③見立てではアレルギー性の鼻水であることが疑われるため、薬を処方した。
ということらしい。

なるほど。
そういうことなら、まあ、分かる。

ということは、切開痕は順調に治ってきているんだろう。
耳に水が入ることを防ぐため、洗髪を2日間控えていたが、今日は頭を洗うことにしよう。

っていうか、それならそうと説明してくれれば良いのにね。
忙しいのは見れば分かるわけだけど。

出ていたアレルギーの薬は朝夕食後一包で、あまり苦くないとのこと。
一応、ゼリー薬で包んで飲ませることにしよう。

2019/09/28

夜間救急

昨晩の話。
寝入りばなに隣で寝ている娘が、耳が痛いと訴える。
普段はこんなこと無いので、どうしたのかと思う。

夜の12時をまわっているので、どうしようかと思ったのだが、どうしても痛いというので階下に降り、綿棒を持ってきて電気を点け、耳をかいてみる。
少しは耳かすが取れるが、特に大きなものは無い。
深くまで入れるわけにもいかないので、とりあえず、耳掃除したよ、と説得して再び寝せる。

なお、痛いと訴える。
妻は耳掃除が得意なので、お母さんにみてもらおうか、と提案し、二人で階下に降りる。
妻と二人で娘の左耳をのぞき込むが、特に何か見えるわけでもない。
スマホで夜間救急を探してみるが、公立の大きな病院に行くしかないようだ。
この病院は地域医療の基幹病院になっているので、通常は紹介状がなければ診てくれないのだし、そもそも夜間救急など行ったことがない。

妻と二人で、朝になったら耳鼻科に行こうとなだめて、みたび寝せる。
耳を触っていて欲しいというので、温めるように触るが、どうしても痛みが引かないようだ。どうにもならないんだよ、と何度か説得するが、シクシクと泣き出す。

病院に連れていくことにする。
妻は朝から仕事なので、寝ててもらう。
この時点で1時過ぎ。

深夜に外に出ることが無いので、娘は少しウキウキしているようだ。
星が綺麗だねぇ、とか、夜もけっこうお店が開いてるねぇ、とかのんきなことを言う。

15分ほど車を走らせ、病院に着く。
適当に駐車場に車を停め、抱っこ移動で歩くが、そもそもどこが夜間救急の入り口なのか分からない。もちろん正面玄関は開いていない。
裏の方に回り込んで、看板を見つける。
自動ドアが開くと、守衛さんが事情を聞いてくれる。
奥の自動ドアを指して、あのドアの向こうが夜間救急だと教えてくれる。

赤い線の入ったすりガラスの自動ドアを開けると、待合室になっている。
受付窓口に看護師さんがいて、話を聞いてくれる。
初診なので、診察券も何も無い。
受付用紙に電話番号を二つ書かねばならないのだが、慌てていて携帯電話を家に置いてきた。自分の番号しか分からない。

待合室には毛布にくるまった女性が二人、ソファに座っている。
テレビからは、バラエティ番組が流れている。関西訛りの芸人さんが、何か楽し気に話している。

しばらく待っていると青い動きやすそうな医療着を着た看護師さんが聞き取りに来てくれた。壁に貼紙があって、聞取りのうえトリアージを行います、と書いてあったので、これかなと思う。
娘の機嫌がおおむね良いので、何だか申し訳ない感じになる。
本当に痛いの?と何度も確認してしまう。
ヂクヂク痛い。と小声で言う。
しかし、機嫌は良い。熱も無い。血圧も正常値らしい。

夜間救急は、当たり前だが、ちょっと大変な事情のある患者さんが来ている。
聞くともなく、看護師さんと患者さん(の家族の方らしい)との話が聞こえてくる。何となく聞こえてくるだけだが、そりゃあ結構シビアな状況だよね、という感じだ。
そして、娘の機嫌は良い。

娘の耳元で、お医者さんも寝てるところを起きて診てくれるんだから、痛いところはきちんと痛いと言うんだよ、と説明する。
分かってるんだか、分かってないんだか、一応、うん、とは言う。

しかし、ここまでお世話してくださった皆さん、一様に感じが良い。

正面の大モニターに受付番号が写し出され、診察室に入るように指示される。
お医者さんは、若い男性の方だった。
丁寧に話を聞き取って下さったうえで、耳の中を覗く器具を使って、左右の耳を比べるように診てくれる。
専門外なんだろうけど、丁寧に何度も診てくれる。

左の鼓膜が赤くなっているので、明日、耳鼻科に行くように指示される。
とりあえず、鎮痛のために座薬を出してくれるという。

感謝して待合室に戻る。
また別の患者さん(の家族)がいて、看護師さんと話をしている。
その話もなかなかシビアな内容なのだが、口調がのんびりしているので、不思議な感じがする。
まあ、なかなか、本当に大変な時というのは、あんまり切迫した口調にはならないものなのかもしれない。

娘はもはや眠くなってきているのか、膝の上で横になっている。
お姫様抱っこ状態だ。
そうこうしていると、受付窓口から呼ばれる。

そして、医療費は無料だ。
いつも思うのだが、これだけのことをしてもらって、医療費が無料というのはとても座りが悪い。
もちろん、市の政策としてそうなっているわけで、病院としては患者からもらうか、税金からもらうかの違いだけなので、申し訳なく思う必要は無いのかもしれないが、にしても、こう、ちょっと、本当にこれでいいのか、という気分になる。

部屋の外の廊下で、ソファに座って待っていると、薬剤師の方が奥から歩いてきて、座薬を届けてくれる。
この時点で3時ちょっと前なのだが、病院というのは、一通りの役割を持った人がみんな起きているのだな、と思う。
勤務割がそうなっているのだろうけども、起きてるんだなぁ、と思う。

外に出ると、すっかり冷え込んでいる。
抱っこ移動で車に戻る。駐車場が広くて、車までが遠い。星は雲に隠れていて見えない。

帰宅。3時過ぎ。
眠そうなので、座薬を入れずに着替えさせて布団に入れる。
寝ようと思うと、まだ痛いという。
あらためて電気を点け、座薬を入れる。
前に入れたのは、もう1年以上前のことなので、本人としては初めて座薬を入れられる感じなのだろう。違和感があるようだった。あたりまえか。

その後、おとなしく眠る。

朝になる。
朝ご飯を食べて、身支度をし、すぐに耳鼻科に向かう。
向かいの小学校の校庭では運動会が行われている。

診察室に入ると、娘は看護師さんの膝に抱かれて先生の前に座らされる。
親は後ろの椅子にポツンと座る。

初めて行く耳鼻科だったが、高齢の先生が耳の中を機械で見て、すぐに「中耳炎だね。どうする。これ痛いだろうから、後で泣くか、今泣くかだな。じゃ、今だな。切っちゃうよ。(娘の肩越しに目線があうので、ええ、とか、ああ、とか何か言う)じゃ、切っちゃおう。」
ということで、すぐに膿を出すことにしたようだ。
火が付いたように娘が泣き出す。機械で膿を吸うジュルジュルいう音がする。
何が起きたかよく分からないが、終わったらしい。
そして娘はだいぶ痛いらしい。

月曜日来られるか、と問われたので、大丈夫です、と答える。
たぶん大丈夫だろう。

待合室で泣きじゃくる娘を膝に乗せ、携帯で「中耳炎」を調べる。
なるほど、そういう病気か。
治療法は、3日くらい様子を見て、その後、鼓膜を切開したりすることもあるらしい。
なるほど。

看護師さんが説明に来てくれる。
どういう病気なんですか、と聞いてみる。風邪をひいていると、鼻から耳にばい菌が入って炎症を起こすのだという。もう膿を取ってしまったから、抗生物質を飲んでもらって、月曜日にもう一回診察して、経過良好だったらそれでおしまい、とのこと。
髪を洗っても良いけど、水が耳に入らないように、と。

詳細はよく分からないけど、何をすれば良いのかは分かったので、頷く。
受付から呼ばれたので、行って診療明細を見たら、鼓膜切開と書いてある。
あ、もう切ったのか。麻酔なしか。そりゃ痛い。

娘はすでに泣き止んでいる。痛い?と聞くと、痛いと答えるが、さほど痛い様子でもない。そうか、そういうもんか。

今日は一日、元気に遊んでいたので、どうやらそういうものらしい。
以上、中耳炎の顛末でした。




2019/09/23

日向里cafe

廃校になった小学校がコミセンになるのは、地方ではよくある話だ。
市内のそういったコミセンの一つに、無印良品が手を貸して、コミュニティカフェになっている場所があるのだという。

前々から気になってはいたのだが、やっと今日行くことができた。
娘をどうやって説得するかがポイントだったわけだが、甘いものを食べに行こう、と言ったら、意外にすなおに応じる4歳児だということが判明した。

車で30分ほど郊外に走る。
台風の影響なのだろうが、風が強い。
稲穂が倒れてしまってい様子も散見される。
今日中に稲刈りを終わらせてしまおうということなのか、コンバインも多く見える。

ちょっと早く着きすぎたので、近くの滝で30分ほど時間をつぶす。
県内では一番の落差を誇る滝なのだが、娘が怖がって、行かないという。
遠くから見るだけだから。あれ、滝かな、ぐらいのところから見るだけだから。
と説得し、車から降ろす。

一昨日あたりから咳をしていて、少し風邪気味なので、冷えないように抱っこ移動。
参道の途中にいわれのある岩が2つほどあるので、そこで降ろして、説明したり、丸い石で岩をコツコツ叩いたり、蛙を触らせたりする。

滝の前にお社があるので、お参りをして、滝自体は本当に遠くから眺めるだけにする。
帰りはトンボを捕まえたり、大きな栃の葉を拾ったりしながら、自分で歩いて戻る。

いい感じで時間が経ったので、カフェに向かう。
日向(にっこう)小学校が廃校になって、日向コミセンになっている。
その中のカフェなので、日向里(にっこり)カフェという名前のようだ。

まだ10時で、開いたばかりなので誰もいない。

小学校そのものも築年数が浅いうちに廃校になったのだろうが、それにしても綺麗に掃除されていて、気持ちの良い空間になっている。

店員さんが、というか、地域の人なのだろうけど、店員さんが一人、奥のレジのところに立っている。
初めてなので勝手がわからない。ランチメニューは11時からだ、と明示されているのでまだなのだろう。カフェメニューは頼んでも良いのかどうかわからない。

聞いてみると、頼んでも良いようだ。
洋ナシソルベ150円、チーズケーキ200円、グレープジュース150円。
500円を払う。ホットコーヒーはセルフで100円。
学校祭じゃないんだから、という金額だ。

縁側みたいな空間があり、碁盤やら将棋盤やらオセロ盤やらが置いてある。
娘が何となく、碁石で遊んだり、オセロをやりかけたりする。
お手玉を手に取って、何?と聞くので、二つでお手玉をして見せる。三つはできない。
目を輝かせて、自分でもやってみるが、もちろんできない。
三回ほど挑戦してみるが、できなくて、キーっとなりそうになる。
そこへ、店員さんがお盆を持ってきてくれる。

机の方に移動。
座り心地の良い椅子と、大きな木の天板の机。
コーヒーメーカーのスイッチを入れにいくと、娘がソルベを食べて、おいしい!と言う。

しばらくぼんやりと甘いものを食べる。
たしかにソルベはとてもおいしい。チーズケーキも200円では申し訳ない。

大きなテレビがあって、カフェをみんなで作ったよ、という動画が流れている。
椅子の座り心地はとても良いのだが、どうやら、ワークショップを開いてみんなで塗りなおし、座面を張りなおしたものらしい。
娘の相手をしていて、詳しくは見れなかったが、机も作っている様子だった。

無印良品の手が入っている、ということで、家具も無印なのかな、とぼんやり思っていたので、驚いた。というか、ごめんなさい。

近所の人だろうか、親子連れが一組、年配のご夫婦が一組、やってくる。
店員さんと、親しげに世間話をしている。

窓からは裏山の緑が見える。青空に映えて綺麗だ。

娘は棚の駄菓子コーナーから100円分の駄菓子を得るべく、いろいろなお菓子を次々に持ってきて、私に見せる。
これだと110円になっちゃうから、どれか1つ、やめなきゃ。
これをやめると、あと30円分大丈夫だよ。どれがいい?

なんだか、とてものんびりしている。

娘がお菓子を選び終わったので、鳥の巣箱のような箱に100円を入れさせる。
キャベツ太郎を食べ終わったところで、体育館に行ってみる。

もう使われていない小学校の体育館。
定期的に清掃されているのだろう。埃は積もっていない。
だれもいないので、娘と追いかけっこをする。ワックスが効いていて靴下では良く滑る。
歌われることのなくなった校歌の額。
天井に上げられたバスケのゴール。

ひとしきり走りまわったので、帰ることにした。
今度は水まんじゅうを食べに来よう。

2019/09/21

運動会、UNO

娘の保育園の運動会。
役員なので7時半集合。先生方がほとんど準備して下さっているので、準備といっても脚立に上って万国旗を巡らせたり、床のラインテープ貼りのお手伝いをしたりといった程度。

それでもあっという間に9時になり、開会となる。
お世話になっている保育園は、市の早期療育施設が隣接しており、合同で運動会をしている。
開会のセレモニーは両園長と、さらに隣接する市立小学校の校長の3人による寸劇。
今年の運動会のテーマは「昔話の世界」なので、両園長扮する金太郎と桃太郎が池に行って、斧やらキビ団子やらを落とすと、小学校の校長先生扮する池の女神が金のと銀のを持って現れる、という例の趣向。
校長先生の出番はここだけなので、あの変な女装をした紳士が誰なのか知らないまま終わってしまった保護者の方もずいぶん居ただろうと思う。素晴らしい。

娘が出場した種目は、徒競走,障害物競走,玉入れ,綱引き。
参加したアトラクションは、応援合戦,お遊戯,フォークダンス。

徒競走は4人で走って、男の子と同着1位。
障害物競走は同じメンバーで走って、3位。網をくぐるところで時間をロスしたのが大きかった。
玉入れは、かごの上に大きなおにぎり(段ボール製か)を置いて、それにみんなで球を当てて落とすという趣向。おにぎりころりん、すってんてん。娘のチームが勝ち。
綱引きは2戦して1勝1敗。

もちろん保育園の成長段階だし、みな同じように成長していくわけでは全然ない。4月生まれと3月生まれでは全然勝負にならないし、同じ月数でも成長のカーブはバラバラだ。
この段階での勝ち負けには、それ自体、たいした意味は無いだろう。

もちろん、勝てば嬉しいし、負ければ悔しい。
でも、勝ち負けは単なる事実として置いといて欲しいと思う。ウチの娘も含めて、それで自分の能力が劣っているのだ、などとは思わないでもらえれば、と願う。

応援合戦は、年長さんがみんなの前に出てきて、エッサッサとチア。
エッサッサは、あのエッサッサ。そうかぁ、保育園児にやらせるかぁ、という感じもするが、みんな一所懸命やっているので微笑ましい。娘には本当のエッサッサは見せないようにしよう。日体大のアレは保育園児には刺激が強い。

お遊戯はラッキーハッピーデラックス。
娘がいつも元気に「♪ぜんりょくで、はくりょくで、はしれない♪」と歌っているので、なんだろう、と思っていたのだが、この歌の歌詞だったようだ。
実際には「全力で、迫力で、走れば、とびきりの笑顔がデラックス」という歌詞のよう。
そうだよな。走れないんじゃ、困る。

フォークダンスは親子でオクラホマミキサー。
お父さんとは踊らない。お母さんと踊る。
というので、残念ながら撮影係に。
こうやって、父と距離を取るようになる日が一日一日と近づくのだなぁ、と感慨にふける。良いことだ。

運動会は1時半に終了。その後、役員は後片付け。
しかし、いつも思うのだが、保育園の先生たちの御尽力には、本当に頭が下がる。
保育園児にこれだけのことを教えるのに、いったいどれだけの労力がかかるのか、想像もつかない。そのうえ、看板やら、小道具やら、全部手作りなのだ。
本当に素晴らしい仕事ぶりだと脱帽する。

家に帰ると娘は昼寝をせずに待っていた。
近所の公園に行き、ブランコを漕ぎ、自転車の練習をする。

夕方から湯野浜の民宿で宴会。
前の学校で教えていた演劇部の生徒たち(今年25歳になる代:演目はブルーベリー)が、庄内で定例飲み会をするというので、民宿を取ったのだ。

私は妻の指導により、日帰りにしたのだが、しかし娘が来てくれてから、この代の飲み会には参加できないでいたので、ずいぶん久しぶりに会うことになる。

みんな元気そうでなにより。
どういうわけだか、夕ご飯の後はUNO大会になり、みんなでひたすらUNOをする。10人でやるとなかなか終わらず、1ゲームが1時間半ほど続く。

そうこうしているうちに22時になったので、帰ってきた。
実はあの人たちの近況も、私はよく把握していないのだが、まあ、いいだろう。
元気でさえいてくれれば、それでいいのだ。

ご飯はおいしかったし、UNOは楽しかった。

2019/09/20

むらさきのスカートの女、読了

「むらさきのスカートの女」今村夏子、読了。
図書館から借りた「星の子」を読んでいたら、隣の席の先生が貸してくれた。

平易な文章で、狂気が淡々と描かれている。

むらさきのスカートの女は、もちろん変わった人として描かれているわけだが、途中から語り手の狂気の方に目が行くようにできている。
すこしずつ、ずらしていくやり方がとても上手い。

「星の子」も変わった人々を描いた作品だったが、肌触りが温かったように思う。
主人公の彼女に選択の余地が無かった、ということもあるのかもしれないし、救いを求めてどうにもならない隘路に入り込んでしまうことの避けがたさ、みたいなものが普遍的だからなのかもしれないが、作者が人物を見つめる視線に愛を感じることができた。

むらさきのスカートの女の語り手は、ちょっと、共感することが難しい。
言ってしまえば、気持ち悪い。
その気持ち悪さが、自分の中にもある、普段は見たくないと思っている気持ち悪さなのかどうか、ちょっと判断がつかない。

読み終えて、どう整理したら良いものか困ってしまい、表紙を見ながら本の重さをてのひらで量る。
装画は榎本マリコさんという方が描いてらっしゃるようだ。
なるほど。これは良い装画だ。

2019/09/19

やっさん

ウチの学校で18年間の長きにわたり、総合的な学習の時間で教授いただいた鈴木康之さんが亡くなられた。

学校の近くには八ツ面川という小さな川(農業用の用水路、といった風情の本当に小さな川だ)が流れていて、ここにはイバラトミヨという魚が住んでいる。
イバラトミヨは巣を作ることで知られる小さな魚なのだが、現在、絶滅危惧種になっている。

このイバラトミヨの体長測定を私たちの生徒は代々、総合的な学習の時間で行っており、「やっさん」こと鈴木康之さんは、その指導をしてくださっていたのだ。

私はたった一年半の付き合いしかなかったのだが、やっさんは本当にすごい人だった。
ラーメン屋の店主で、詩の同人誌を主宰していて、淡水魚の在野の研究者なのだ。
それで、熊みたいな体形で、砂嵐のようなザラザラ声で、いつも笑っているのだ。

ちょっと、一言では表せない。

フィールドワークの合間合間に聞いたところでは、早稲田の文学部を出て、地元に帰ってきたところ、幼少時に遊んだ八ツ面川を暗渠にして上に道路を通す、という計画を知って、反対運動をおこし、イバラトミヨの保護を訴え、コンクリ三面護岸にするという譲歩案をさらに蹴って、石積みの護岸として親水空間にするよう提案し、その後、小学生を対象にイバラトミヨを活用した自然教育、ふるさと教育を行ってきた、ということのようだった。
(詳細は不明。たぶん、そういうことなのじゃないかな、と推測した部分も多い)
それで、結局、どうしてラーメン屋なのか、というのは聞けないままになってしまった。

ウチの学校の今年の創立記念式典には、やっさんに来てもらって、詩の朗読会をしてもらった。吉野弘と宮澤賢治の誌を中心に朗読してもらったのだが、とても良かった。私は生徒から見えない所で泣き通しだった。

詩人で、環境活動家で、教育者で、ラーメン屋。
そして何より、偉そうなところが一つもない。

今年の4月に、実はガンなんだ、と聞いてから半年。
投薬と放射線による治療は大変な苦痛を伴うものだと聞いているが、生徒たちには全くそのそぶりを見せず、フィールドワークの指導をぎりぎりまでしてくださった。

8月の下旬に緊急入院なさって、それからは電話でしか話すことができなかったが、それでもまさか、こんなに早くとは思わなかった。

もっと、お話を聞きたかったです。
やっさん。

2019/09/16

雲梯、トリミング、月明かり

少し朝寝坊して7時過ぎに起きる。
妻の出勤準備時間と重なってしまった。
動線を邪魔しないように、娘とのんびり朝ご飯を食べる。

今日は飼い犬(トイプードル)のトリミングの日。
近所のホームセンターにペット部門があり、いつもここでトリミングしてもらう。
9時半の開店に合わせて、犬を連れていく。
ここ最近、トリミングに行けてなかったのでだいぶ伸びている。顔周りはさすがに放っておけなくて一度妻が揃えていたが、足先やら耳の先やらは結構毛玉っぽくなっている。

妻の実家でもトイプードルを飼っているのだが、彼は耳が短いスタイルだったので、ウチの犬も真似して短い耳にしてください、と言ってみる。
いつもお世話になっているトリマーのお兄さんに、ちょっとビックリされる。一度切っちゃうと、しばらく戻りませんよ、ということだ。
まあ、どんな感じでもウチの犬は可愛いであろう。という根拠のない自信をもとに、お願いする。

午前中、何をしたいか聞くと、交流ひろばに行きたいとのこと。
交流ひろばは、大きなすべり台やちょっとしたアスレチックのある、近所では一番大きな室内遊び場だ。
行ってみると、同じ保育園の「しーちゃん」がお父さんと弟くんと来ている。
娘がサンダルを脱ぎ掛けたまま奥を見つめて、「え、しーちゃん?ほんとに?」とか呟いているのが、なかなか面白かった。

年中さんが二人いれば、追いかけっこが始まるのは、基本中の基本である。
弟くんは二つ下らしいので、追いかけっこにはならないのであるが、一緒に走りたいらしい。いつものことだが、お父さん鬼ね、の一言で強制参加させられる。
すべり台が中心遊具なので、バラバラに逃げる二人(あるいは三人)をすべり台に追い込む形でまとめ、後を追うようにすべり台をすべる、という基本パターンを15回程度。

さすがに子どもたちは汗だくになり、しーちゃんパパが休憩を勧告する。
三分ほどで休憩が終わり、ウンテイに挑戦。
腕の力が未発達なので、基本的にはまだできないのだが、少し上の子がひょいひょいと移動していくのを見ると、やってみたいのが四歳児。
下にマットも敷いてあることだし、傍観する。
と、足場から、一つ目の鉄棒に左手をかけ、うんと手を伸ばして二つ目の鉄棒に右手をかけ、そして、左手を放して二つ目の鉄棒にかけた。

おー、できたじゃん、と褒めると、そこで力尽きて落ちてしまった。
一度できると、そこまでは何回でもできるようになる。
二つ目の鉄棒から、三つ目の鉄棒に片手を移動できるようになると、あとはホイホイと進むのかもしれないが、それは何度やっても出来ない。

本人は大満足でしーちゃんにも偉そうな口をきいているので、一応、雲梯ができた、ということにして、大袈裟に褒めてみる。

昼寝を挟んで、午後からは犬を引き取りに行く。
耳が短い。ショートカットの女の子みたいになっている。こんな顔だったか。

犬を連れて近所の公園へ。
本当は午後から川遊びをしたい、と言っていたのだが、気温があまり上がっていないので、川遊びは無理だろうということで納得してくれた。

公園でひたすらブランコ。
30分ほどブランコをすると飽きたらしく、おでかけすることにした。
午後の半端な時間、というのが、一番困る。

引っ越してくる前は天童という町が近くにあり、ここには県内随一と思しい室内遊び場があった。ここは6時を過ぎても開いていたので、困ったらここに行けばよかったのだが、こっちに越してきてからは、時間の潰しようがない。
例の交流ひろばはそんなに広いわけでもないし、公営なので5時で閉まってしまう。
5時で追い出されてしまうと、妻の夕食準備が整うまでの1時間、何をしていればいいのか、分からない。
海が静かなら、海岸で砂遊びでもいいのだが、天気が良くないとか、いっそ冬だ、とか、さすがに海岸に行くわけにもいかない。

結果として、イオンに行ってしまうのだが、イオンだって、子どもの遊び場ではないので、迷惑だろう。迷惑だろうなぁ、と思いながらも、そうやって子どもを遊ばせているお父さんが結構いる。うーん。そうだよなぁ。

夜、月が綺麗だった。
雲が多くて風があったので、大きな明るい月が、雲から出たり、雲に隠れたりする。
暗い部屋の中で、窓を開け放して、娘とそれを眺める。

雲のふちが月明かりで虹色に淡く光るのは、とても美しい。
娘の目にはどう映っているのだろうか。

2019/09/15

凧、秋の午後

午前中、娘の機嫌がどうも悪かった。
どうして機嫌が悪いのか、本人がうまく言葉にできるわけもないので、本当はよく見て推し量らねばならないのだろうが、私はそういうことがあまり得意ではない。

昼寝から起きると、機嫌は戻っている。
凧を上げたいというので、近くの波止場に行って、凧を上げる。
さすが海からの風は強く、凧はいとも簡単に上がる。
ほとんど走る必要もない。

35mのタコ糸はあっという間に伸び切ってしまい、そうなってしまうと、そんなに高く上がっているようにも思えない。
秋の空はもっとずっと高い。
娘は大層よろこんでいるが、もっと高いところまで上がれば、もっと喜ぶだろう。
次は長いタコ糸を調達しておこう。

この波止場にはほとんど車通りのない直線道路があり、芝生に覆われた小高い丘がいくつも連続してある。良く滑るすべり台と、ターザンロープも設置してある。
自転車の練習をしたり、追いかけっこをしたり、何度も何度もすべり台を使ったりして、1時間半ほど遊んだ。

岸壁では何組もの親子が釣りを楽しんでいた。
日差しは強かったが、風があって、すごしやすい秋の午後だった。

2019/09/14

何もない土曜日

休日に仕事をしなくなって五年目になる。
つまりそれは、演劇部の顧問をしなくなって、ということだ。
高校教員の仕事のうち、労力の半分は部活運営によるものだった、ということが今となってはよく分かる。

娘がウチに来てくれたのが、ほぼ五年前。
12月に来てくれて、それから1月、2月、3月。この間、これまで通りの仕事量で、かつ子育てをしていたので、だいぶ無茶な生活だった。
三か月ちょっとの期間ではあったが、私が子育てできない分は、全て妻が背負ってくれた。

行政職に異動になって、部活動が無い分、そして生徒相手の仕事でなくなった分、子育てができるようになったのは、本当に僥倖だった。
高校の教員をしながら子育てをしなければならなかったとしたら、私たち一家はおそらく、保留なく崩壊していただろう。

話がそれた。
休日に仕事をしない、という話だった。
仕事をしないで、いったい何をしているのかといえば、もちろん子育てだ。

今朝は6時過ぎに起きた。
娘が寝転がったまま、こちらを見ている。
今のところ、娘と一緒に寝るのは私の役割なので、朝の世話も私がすることになっている。
起きるか、と聞くと、何か見たい、と言う。
携帯で何か動画を見せる。
ユーチューブのリコメンドに、スライムの作成動画が示されている。それを見たいと言う。
8分程度の動画だったので、二人で小さな画面でそれを見る。
赤い血糊のようなスライムを作り、ゴム手袋に詰めて、爪の部分を切ってホラーな感じの絵を撮る、という趣向のものだった。
この人の動画はいつも、いきあたりばったりにやっているように見える。計算づくなのだろうとは思うけど、ぼんやり見ている分にはちょうど良い緩さだ。

見終えて、朝食の準備をする。
妻が前夜のうちに準備してくれているので、私はレンジで温めてサーブするだけ。

朝ご飯を食べ終えて大きなレゴブロック(デュプロシリーズ)で遊んでいると、妻が起きてきて、出勤の準備を始める。彼女は勤務日なのだ。
デュプロではミッキーマウスがワニに乗って暴れている。台車の上の象に乗った男の子がそれを見ている。

妻を見送ったあと、風船で遊びたいというので、赤い風船を膨らませて、二人で団扇でバドミントンのようなことをする。
4歳児というのは身体能力が日進月歩なので、どんどん出来ることが増えていく。

ひとしきり打ち合ったので、犬の散歩に出かけることにする。
名目は犬の散歩だが、実際には近所の公園にブランコに乗りに行くのだ。
ブランコを押してもらうことに大きな幸せを感じているようなので、休日の朝は公園に行かないわけにいかない。犬にしてみればブランコの脇のわずかな日陰にじっとしているよりなく、暑いだけで迷惑だと思うのだが、特に嫌がる様子もない。
15分もブランコを押していると、満足したらしく、帰宅することになる。

その後、車に乗っておでかけ。
近くの子育て支援センターに行く、と言ってきかないので、行ってみる。
この支援センターは彼女が通っている保育園と同敷地内にあり、ほぼ毎日夕方行っている場所なのだ。どうして休日にまで行きたいと思うのか不明だが、行きたいのだろうから、連れていく。

先客は一組の父娘。年下の娘さんのようだ(後で聞いたら3歳児;2歳下だった)。母親同士であるならば会話するところなのだろうが、父親というのはなかなかコミュニケーションを取るところまでいかない。
私も子育ての現場では積極的にコミュニケーションを取ろうと思ってないので、何となく同じ場所で遊ばせている、という感じになる。
木製の線路を組んで電車を走らせたり、井形のブロックで鉄砲を作って戦争ごっこをしたり、大きな布製のサイコロを振って出た目で追いかけっこをしたり。
だんだんお客さんが増えてきて、混んでくる。
和室でお絵かきをしていると、前述の小さな女の子が一緒にお絵かきをしたいとやってくる。
お父さんと少し話をする気配になり、子育ての方が仕事より大変ですよね、ということで、一致する。
子育ては見通しをもって時間が進められない。子どもと同じように「今」を生きるしかない。それは大人にとっては、結構、大変なことだ。

支援センターを出たのが11時。
彼女は12時半にはお昼ご飯を食べ終えて、昼寝を始めるスケジュールになっている。
この時間からでは、ほとんど何もできない。

凧で遊びたい、との希望を昨晩から持っていたので、物置小屋に置いてある破れてしまった手作りの凧を見せ、新たに凧を調達しなければならないことを納得させ、セリアに連れていく。

セリアにはカラフルなカイトが置いてあったが、もちろん、隣の棚のおままごとセットが気になる。売り物をガチャガチャと取り出して、これは保育園にある、これも保育園にある、先生はここで買ったのか、など一人で納得している。
いろいろと欲しがるが、凧しか買わないよ、と説得しレジでお金を払わせ、出口に向かうと三文判タワーが目に入ったらしく、私の名前のハンコはどれだと尋ねる。
あいうえお順に並んでいることを説明し、ほら、この二つ並んでいるのが、私たちの名前だと説明する。漢字が読めるわけでもないので、微妙な顔でハンコを見ている。

お昼ご飯はオムライスがいいと言うので、マックスバリュに向かう。
途中見かけたセブンイレブンで、菓子パンを買いたいと言い出す。今からお昼ご飯だというのに、なぜ菓子パンが欲しいのか。
何度も説得するが、どうしても菓子パンを買うと言ってきかない。
買っても良いが、今は少ししか食べないこと、お昼ご飯は必ず全部食べることを約束して、セブンに入る。
パンケーキ(2枚入り)を選んだので、購入し、車の中で1枚だけ出して、半分だけ食べさせる。もう半分は私が食べる。しまった。思ったより甘い。ほっぺにメープルシロップのジェルが付くのでティッシュで拭く。

向かいのマックスバリュに入ると、プリンを作りたいというので、粉末のプリンの素を買う。牛乳で作るのと、お湯で作るのがあったので選ばせると、お湯で作る方が良いという。
チャーハンは向こうだ、と主張する彼女をなだめ、逆方向の冷凍ケースに向かう。ケースの中のチキンライスを見せると納得したらしい。どこかの店舗と勘違いしていたのだろう。チキンライスとプリンの素を購入して帰宅。

チキンライスを大皿に盛り、電子レンジに入れ、レンジのボタンダイヤル操作をさせ、スイッチを入れさせる。
器に卵を割らせ、箸を渡してかき混ぜさせる。
湯沸かしポットのスイッチを入れ、カラメルソースの粉を小鉢に入れさせ、計量カップで水を加え、スプーンでかき混ぜさせる。黒い色になるのが楽しい様子。こぼしたカラメルソースをティッシュで拭きとり、スプーンをくわえさせる。甘いと喜ぶ。
プリンの粉をボールに入れさせ、沸いたお湯を加えて、大きなスプーンでかき混ぜさせる。熱いからね、と三回注意する。
溶け切っていないのだが、私がかき混ぜようとすると嫌がるので、仕方ない、計量カップで量った冷たい牛乳を注ぐ。
まだダマが残っているようだが、ここからは時間勝負なのでどんぶりに移させて冷蔵庫に入れる。

レンジが鳴るので、熱い大皿を食卓に運ぶ。小さな器を選ばせて、チキンライスをこれに詰めて皿にひっくり返すように言い、スプーンを渡す。熱いからね、と一回注意する。

その間、先に割らせた卵をフライパンで薄焼きにする。
焼いていると、おとうさーん、ひっくりかえしたー、と声がする。
見に行くと上手くひっくり返せている様子。チキンライスも散らばっていない。器を持ち上げるといい感じでチキンライスが小山になっている。
焼きあがった薄焼き卵をチキンライスの上にかけて、ケチャップで顔を描く。

好きなものはあっという間に食べる。
隣で余ったチキンライスを食べていると、食べ終わった娘が机の上のセブンのパンケーキを見ている。半分食べるのだそうだ。まあいいや。私も残った半分を一緒に食べる。

食べ終わって皿を洗っている間に、歯を磨くように言う。
素直に歯を磨きだす。珍しい。

ここまでで12時半。
このあと、昼寝をさせて、3時に起こし、プリンを食べさせて、公園に行き、凧を上げ、風がなくて凧は上がらず、実家に行き、じいじばあばと遊ばせ、帰宅した妻から具合が悪いので二人で外食してくるようメールが届き、二人で回転ずしに行き、帰宅し、風呂に入れ、キーボードのデモ音楽で一緒に踊り、絵本を読み、寝かしつけ、そうこうしているうちに一日が終わる。

いつも通りの、何もない土曜日。

2019/09/13

橋本治

橋本治が亡くなってしばらく経つ。
私の周囲に橋本治を読む人がいなかったせいか、あまり話題になることもなかった。

学校の図書館で「ひらがな日本美術史」を見かけたので職員室に持ち込んでパラパラとめくる。昨年の秋に1巻だけで良いので、と、司書の先生にお願いして入れてもらった本だ。

1巻は埴輪の話から始まる。隣に日本古代史を専門としている先生が座っているので、面白いですよ、と言ってみる。
橋本治が書いてるんですけど。
ああ、桃尻娘の。
うん、そうだよな。橋本治を読まない人は、彼を桃尻娘の人だと思う。桃尻娘は確かに現代日本口語を用いた挑戦的な作品だったけど、そうやって一言で言われてしまうと、少しへこむ。

橋本治は革命的半ズボン主義宣言だし、蓮と刀だし、花咲く乙女たちのキンピラゴボウだし、風雅の虎の巻だし、手トリ足トリだし、窯変源氏だし、そしてこのひらがな日本美術史だ。

世間ではおかしいとされていることでも、きっちり理屈さえ通してしまえば、何をやってもいい。むしろ、おかしいのは世間の方だと大声で言ってしまった方が勝ちだ。
ということを、高校生の私に教えてくれたのは橋本治だった。
何の力もなく、自分を信じることができず、言いたいことはある気がするのに何を言ったら良いのかわからなかった私を救ったのは、河出文庫から出ていた橋本治の一連の著作集だった。

ひらがな美術史を読むと、橋本治の天才性はすぐにわかる。
あの素晴らしくキレの良い評論には、根拠がほとんどない。
彼は美術作品をよく見て、よく見たうえで、自分の内側に起こった感慨を、手持ちの言葉と知識で誠実に形にしていく。

大型本で印刷が鮮明なので、掲載されている図版で本文の説明にある描写を見ることができるのだが、私の感性では橋本治が捉えているようには、とうてい見えないことも多い。
ほんとかな、考えすぎなんじゃないかな、ただの思い込みなんじゃないかな、と思うことも度々ある。

でも、それでいいのだ。
橋本治は、そういう文章を書く人なのだ。
私は橋本治が世界を見るように、世界を見たいと思って、本を読むのだ。

橋本治を通して見る世界は、とても美しい。
人間は多くの欠点を持っている。そして、そうであるからこそ愛おしい。
私もそういう風に世界を見たい。

橋本治と若い時分に出会えたことは、本当に幸運なことだった。
彼が亡くなってしまった衝撃を、周りの人と共有できなかったことは、とても辛いことだった。
この文章を書いて、それにやっと気付いた。

恩人の死にあたって、適切な言葉を持っていない。
ありがとうございました、では足りないし、ご冥福をお祈りします、では硬いだろう。
大好きでした。が、一番近いかもしれない。
橋本治を送るには適切な言葉であるようにも思う。

大好きでした。

2019/09/12

水族館、早稲、いつもそれ

教員の働き方改革、といえば、まったく進まないことの代名詞みたいなものだが、制度としては、年休もあるし、夏季特休もある。
県教委からの強いお達しで、夏季特休6日間は完全に消化しなければならない。

今年の盆休みはカレンダー通りでも結構長かったので、8月中には4日間しか夏休みを取らなかった。9月中にあと2日間休まなければならない。

というわけで、今日は1時間目に会議をして、3時間目に授業をしてから夏休みをもらった。
特休は1日単位でしか取れないので、3時間目までの業務については、透明人間扱い。

休日は4歳の娘と行動を共にしているので、自分の好きなところに行く機会はほとんど無い。平日にお休みを取ると、娘が保育園に行っている間は自由に出歩くことができる。

とりあえず晴れているので、水族館に行ってみる。
クラゲで有名なこの水族館には、よく娘と一緒に来る。
でも、娘の興味の対象と、私の興味の対象はずいぶん違うし、4歳児の集中力は長く続かないので、ひれあしショーを見てクラゲアイスを食べて帰ろう、ということになってしまう。
私はタコが見たいのだ。カメも見たい。クラゲも、もっとぼんやり長い時間見たい。

というわけで、平日の昼に、半袖のワイシャツを着たおじさんが、一人でずーっとタコの水槽の前に立っていることになる。
この水槽の中には大きなミズダコが二匹いるのだが、本当にタコというのは何だかよく分からない生き物だ。あれはいったい何なのだろう。
おそらく呼吸器なのだろうけど、目の横あたりに穴が開いていて、水がかなりの勢いで出入りしている。時折、何か複雑な形をした器官が水と一緒に出入りしたりする。
よく分からない。
よく分からないので、ずーっと見ている。

カメは前に来た時より数が減っていた。
冬の間、冷たい日本海に迷い込んだカメを保護しているのだそうだ。夏になって海水温が上がったら、沖で放流してあげるのだという。5月に来たときは5匹くらいいたのが、2匹しかいなくなっていた。
水槽に残っていたカメはまだ小さかった。もう少し大きくなるまで保護するのだろう。
アカウミガメは甲羅がトゲトゲで、アオウミガメは甲羅がスベスベなのだそうだ。逆だったか。
スベスベの小さいカメは元気に泳いでいて、水槽に頭からぶつかったりしていた。コツン、くらいだが、あれは痛くないのか。

クラゲは、お客さんの多くはミズクラゲの大群に歓声を上げるのだが、私はズッキーニみたいな形のクラゲが好きだ。体の周囲が光を受けて虹色に光る。どちらが前でどちらが後ろか分からない。水流に乗ってただただ漂っている。

いずれにしても何を考えているのか分からない生き物たちを、水槽の前に突っ立ってずーっと見ていた。特に教訓は無い。

そうこうしているうちに2時間くらい経ってしまったので、大きな本屋に移動。
こちらに越してきてじき2年になるが、大きな本屋が近所に無い、というのは本当に困ったことだ。
必要な本ならネットで買えばいいのだが、本屋で本を見て歩く、というのはネットで本を探すこととは根本的に違う。
普段見ない棚の本を2時間くらい見てまわる。

帰り道、田んぼで稲刈りをしているのを見かける。
早稲なのだろうけど、もうそんな時期か。
天気がいい。風が涼しくて心地よい。

帰宅してみんなで夕食を食べる。
今日はすみれ組さんは、お休みの人はいなかった?
と娘に聞くと、嫌そうな顔をして
またー?いっつもそれ。
と言われる。話の取っ掛かりとしては悪くないと思っているのだが。
妻が、そのうちウザいって言われるよ、と言う。
そうかもしれない。

2019/09/11

支援委員会、心音

今日の会議は支援委員会。
職員数の少ない学校なので、会議があれば、近藤はほとんど全てに招集される。

支援委員会は、特別な支援を必要としている生徒について、一人ひとり支援の状況を確認し、今後必要な策を講じるための会議。どの学校にもあって、ウチの学校では毎月開催されている。

「特別な支援」っていうのは誤解されやすい言葉だ。当たり前のことだけど、人間は100人いれば100人みんな違うので、全ての人がその人に合った特別な支援を受けられれば、みんな生きていくのが楽になる。
例えば近藤はどちらかというと多動気味の人なので、動き回ることを禁じられて一つの仕事を集中して毎日毎日やりなさい、とか言われると、たぶん、相当、困る。やらなきゃいけないことはやらなきゃいけないんだけど、少しでも困り感が軽減するように支援を受けることが出来るんなら、それは楽だろう。

学校は基本、決まったプログラムで集団行動するように設定されているので、やっぱり辛い人にとっては辛いわけで、この人はこういう困り感があるみたいなので何か良い手は無いもんですかね、っていうのを職員で話し合うことは必要。

で、担任が特に「困ってそうな人」を選んで、10人ぐらいの職員で話し合う。

毎月やるので、前回から特に進展がない人もいるし、夏休み中に困り感が高まってしまった人もいるし、就職を前にして落ち着いてきた人もいる。
本人は困ってないんだけど保護者の方が困っている人もいるし、もう、ほんとうにいろんな人がいる。

何か卓越した解決策が出されるわけではないんだけど、まあ、でも、教育っていうのはそういうもんだろうと思う。毎日毎日、少しずつ、進んだり戻ったり。

教職員の人数が、せめてもう少し多ければ、というのは常に思う。

帰宅。
娘は保育園の運動会前で、いろんな応援を覚えてくる。
今年は金太郎組と桃太郎組に分かれて戦うらしい。
娘は金太郎組。
金太郎は坂田公時っていう人でね、と説明するが、もちろん聞いてない。

寝かしつける時に心臓の音を聞きたがるので、胸の上に娘の頭を乗せる。
聞こえない、というが、そんなことは無いだろう。
試しに娘の胸に耳をつけてみると、思ったより大きな心臓の音がする。
他人の心音を聞く機会なんて、最近なかったので、こんなに大きな音がするのだと驚く。
皮膚が薄いのかな、とか思う。

もう一度、娘の耳を自分の胸にあてがう。
ドッ、ドッ、ドッ、ドッ、と娘が言う。

2019/09/10

再開

というわけで、ずいぶん時間が空きました。
この間、特別養子縁組で生後4週間の娘(現在は4歳。保育園の年中さん。)を育てることになり、一度学校現場を離れ社会教育行政に三年間携わり、その後再び高校に戻ってきました。
今の高校に勤めるようになって二年目です。

ずいぶん時間が経ちました。
高校演劇からは足を洗いました。というか、今の勤務校は規模が小さすぎて、ほとんど部活らしい部活が成立しにくい状況になっています。
演劇部は生徒1人でも演劇部だろう、とは思うのですが、働き方改革の波もあり、もはや往年のような部活動運営はできないだろうと考えています。

土日は学校に行かず(学校の合鍵すら持っていない!)、娘と遊んでいると休日が終わるという現状です。
平日も19時には家にいて、娘を風呂に入れる生活。

こういうふうな人生になるとは、思っていなかったです。

約5年間、プライベートの時間のほとんど全部を子育てに費やし、パソコンに向かって書き物をする時間も無かったのですが、ようやく少し時間が取れるようになってきました。

こんなブログは誰も読んでいない、という前提で、自分の考えを整理するために少しずつ、書いていこうと思います。

高校ですごす。再開します。