私の周囲に橋本治を読む人がいなかったせいか、あまり話題になることもなかった。
学校の図書館で「ひらがな日本美術史」を見かけたので職員室に持ち込んでパラパラとめくる。昨年の秋に1巻だけで良いので、と、司書の先生にお願いして入れてもらった本だ。
1巻は埴輪の話から始まる。隣に日本古代史を専門としている先生が座っているので、面白いですよ、と言ってみる。
橋本治が書いてるんですけど。
ああ、桃尻娘の。
うん、そうだよな。橋本治を読まない人は、彼を桃尻娘の人だと思う。桃尻娘は確かに現代日本口語を用いた挑戦的な作品だったけど、そうやって一言で言われてしまうと、少しへこむ。
橋本治は革命的半ズボン主義宣言だし、蓮と刀だし、花咲く乙女たちのキンピラゴボウだし、風雅の虎の巻だし、手トリ足トリだし、窯変源氏だし、そしてこのひらがな日本美術史だ。
世間ではおかしいとされていることでも、きっちり理屈さえ通してしまえば、何をやってもいい。むしろ、おかしいのは世間の方だと大声で言ってしまった方が勝ちだ。
ということを、高校生の私に教えてくれたのは橋本治だった。
何の力もなく、自分を信じることができず、言いたいことはある気がするのに何を言ったら良いのかわからなかった私を救ったのは、河出文庫から出ていた橋本治の一連の著作集だった。
ひらがな美術史を読むと、橋本治の天才性はすぐにわかる。
あの素晴らしくキレの良い評論には、根拠がほとんどない。
彼は美術作品をよく見て、よく見たうえで、自分の内側に起こった感慨を、手持ちの言葉と知識で誠実に形にしていく。
大型本で印刷が鮮明なので、掲載されている図版で本文の説明にある描写を見ることができるのだが、私の感性では橋本治が捉えているようには、とうてい見えないことも多い。
ほんとかな、考えすぎなんじゃないかな、ただの思い込みなんじゃないかな、と思うことも度々ある。
でも、それでいいのだ。
橋本治は、そういう文章を書く人なのだ。
私は橋本治が世界を見るように、世界を見たいと思って、本を読むのだ。
橋本治を通して見る世界は、とても美しい。
人間は多くの欠点を持っている。そして、そうであるからこそ愛おしい。
私もそういう風に世界を見たい。
橋本治と若い時分に出会えたことは、本当に幸運なことだった。
彼が亡くなってしまった衝撃を、周りの人と共有できなかったことは、とても辛いことだった。
この文章を書いて、それにやっと気付いた。
恩人の死にあたって、適切な言葉を持っていない。
ありがとうございました、では足りないし、ご冥福をお祈りします、では硬いだろう。
大好きでした。が、一番近いかもしれない。
橋本治を送るには適切な言葉であるようにも思う。
大好きでした。
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