2011/12/31

2011年のまとめ。

まずは演劇関係。
今年作った舞台は3本。
春に新入生歓迎公演として作った「Is」
3年生の引退公演として作った「蛍」
大会用の舞台として作った「ブルーベリー」

いずれも演劇部の生徒と一緒に作った舞台だ。

今年の演劇部は一年生4人、二年生10人、三年生1人。
舞台を作るにはちょうど良い人数だ。
役者希望の生徒と裏方希望の生徒のバランスも良く、皆、真摯に取り組んでくれた。
おかげでとても楽しい活動をすることができた。多謝。

3年生引退公演はいつも既成の脚本でやるのだが、今年は創作。
物語のアイディアを生徒が出してくれた。
大したアイディアを出せないのが自分の弱みだと自覚しているのだが、生徒が出してくれるのであれば、どうにか構成してセリフを書くことができるみたいだ。
しばらくこのやり方で行ってみようと思っている。

その「蛍」だが、超能力モノをできるだけ誠実に書いてみた。
”なんでもあり”にしないように気をつけたのだが、そんなに悪くなかったのではないかと思う。
アリガチな話になってしまったのは能力の範囲内なのでやむを得ない。
まだまだ精進。

「ブルーベリー」は県大会優秀賞と県創作脚本奨励賞をいただいた。
が、今年のような優秀なメンバーを預けていただけたのならば、東北大会まで行かねばならなかっただろうと思う。

土田先輩からは「あの結論を導き出すところまで行けてない」と言っていただいた。
あの結論があるのであれば、どんな手法を使ってもその高みまで上がらねばならない、と。
自分としては45分をフルに使ってあの高さに届くように物語を構成したつもりだったのだが、全然届いていないという土田評だ。

ありがたい。
このような評を下さる先輩がいるので、舞台を作る甲斐がある。
次の作品も頑張りたい。

いま、生徒たちは次の舞台(来年度の新入生歓迎公演)に向けて動き始めている。

今度は一年生の4人芝居になるようだ。
教室公演や、外部の施設での公演になると思う。
ここでどのくらい伸びられるかが来年の活動を決める。
頑張って欲しい。

今年の大きな出来事として、サムライズの上演が無かったことが挙げられる。
メンバーの家庭の事情が大きくて6月に予定していた上演は中止。
その後の活動も休止状態で次の上演のメドも立っていない。

演劇なんてものは簡単に日常生活に負けてしまうものだ。
これまで長い間に渡って上演できていただけでも奇跡的なことだったのだ。
支えるべき仲間がいて、支えてくれる仲間がいて、お互いに「あの人のために頑張ろう」という気持ちがあって、なんとか上演できていたのだろう。

時間の流れはどうしようもない。
しばらくこのまま眠らせておくしかないだろうと思う。

以上、演劇関係。

学校の仕事については一学年の副担任と総務課。
副担任の仕事は学年団のメンバーに恵まれ、とても楽しく勉強になった一年だった。
久しぶりに一学年に入れていただいて、学年集団がゼロから立ち上がっていく様子をわりと客観的に見ることができたと思う。
人と人とが関わりあう事なので、意図したことと結果が違ったり、難しいことも多いわけだが、それでも教育の力っていうのは確かにあるのだなぁと実感させられた。
方向性は間違っていないはずだ。

総務課の仕事については、PTA会報の編集や、90周年記念事業のステージ部門などでお手伝いさせていただいた。
どのくらい役に立てたかは謎だが、たくさんの方々にお世話になった。
本当にありがたいことだと思う。

学校の仕事では無いのだが、今年は組合の用事も多かった。
信頼する先輩から昨年度末に頼みこまれて地区の書記長職を引き受けた。

いつもの通りの安請け合いだったわけだが、思ったよりも出張(といっても有給休暇で出かけるわけだが)が多く、さまざまな交渉事やら、会議やら、学習会やらで学校を空けることが多かった。

誰かがやらなきゃならない事だからな、と言って頂きながらではあるが、心苦しいものがあった。

もちろん大変なだけではなくて、勉強になったことも多いし、貴重な体験をすることもできた。

組合関係で最も印象深かったのは、一週間のボランティア休暇をいただいて、連合ボランティア団の一員として大船渡に行ったこと。

7月のはじめだったから、震災から4ヶ月が経とうとしていたわけだが、なかなか片付けが進まず、10人がかり、3日がかりでようやく一件のお宅の家具出し泥出しを終えたことを思い出す。

あれから忙しさに流され、被災地には行けてないのだが、この寒空の中でどんな思いで過ごしているのだろうかと思うと、何とも言えない。

来年はもっと良い年になりますように。

2011/12/09

実家に寄る。

友人シゲモト君のご尊父様葬儀。
遊佐町で朝の九時からということなので、エツオ先生とヤクワ先生とで出かける。

新庄経由で向かうが、自動車道を走っていると路面が白くなってくる。
冬だ。

戸沢村のあたりでは最上川対岸の山々が、いい感じの水墨画みたいになっている。
舟下りとかしたら良いんだろうなぁ、などと、のんきなことを考えながら運転する。

八時半ころ、到着。
まだ66歳だったそうで、それは若い。
ウチの父親と同い年だ。

人望の厚かった方のようで、たくさんの弔問客が訪れている。
シゲモト君、おつかれさま。
大変だったよね。

十時くらいに葬儀は終わったのだが、
一日お休みをいただいてきたので実家に行ってみる。
たまには親孝行せねばなるまい。

先頃、父も完全に退職したので、毎日日曜日のように暮らしている。
部屋のテレビが42型とかになっていて、狭い部屋なのにこんなに大きいテレビでどうするんだろうと思う。ベッドに座らないと見られないらしい。

3Dがついてるんだ、とかいう事で録画してあった世界遺産3Dを勧められる。
おお、飛び出す、っていうか、奥行きがある。

デジカメで撮った画像をテレビで見られるようにしたのだが、
動画がうまく入っていかない、どうなってるんだ、と聞かれる。

いろいろいじってみる。が、うまくいかない。
ユーザーサポートに電話をかけることに。
結局、デジカメの動画形式をサポートしていない、ということのようだ。

やおらパンフレットを取り出し、このデジカメだと大丈夫か、と聞く父。
たしかにその機種だったら大丈夫みたいだけど、なに?買うんですか?
そうやって、どんどん新しいもの買わなくても良いように思いますよ。おいらは。

親孝行になっているんだか、なっていないんだか判らないが、
4時間ぐらいそのように実家ですごした。
色々と大変なことはあるようだが、いまのところは大丈夫。

帰りに、せっかくだから土門拳記念館に寄る。
平日の午後で他には誰もいない。

実家から車で三分くらいのところだが、長らく訪れてなかった。
小学校の遠足か何かで来たり、大学生の頃に何回か来たり。
ということは、15年振りとかだろうか。

「筑豊のこどもたち」が展示されている。
貧しい。
畳が腐って落ちているし、扉が開かなくて壁板の剥がれたところから出入りしている。
それでも子どもたちは笑いながら暮らしている。
1959年。日本はこういう国だったんだ。

メインの展示は「古寺巡礼」
小学生だったころも凄いと思ってみたが、今、見てもすごい。
見る部分はもちろん違ってたりするのだが、変わらずすごい。

三仏寺投入堂の蔵王権現がお気に入り。
シュっとしてる方も、どういうバランスで立ってるんだろう、とか思うけど、
素朴な方がなんとも言えず良い。

風が強くなってきて、雪が舞ってきた。
東根で風が強い、風が強いなんて言ったって、庄内ではこれが普通だものな。

池の鴨が黒く漂っている。
白鳥が声を上げながら川に向かって飛んでいる。

2011/12/08

志の輔落語in山形

志の輔落語in山形を聞いてきた。
演目は「ディアファミリー」と「八五郎出世」
ディアファミリーも良かったのだが、八五郎出世は本当に素晴らしかった。

長屋住まいの大工で宵越しの銭は持たねえハチ。
彼の目から見える貧しいけれど温かい世界を、覗かせてもらったように思う。

江戸時代に生活したことはないけども、
こういう世界だったら貧しくてもそんなに悪くない。

例えば、老いた母が足を折る。
まとまった金がなくて医者にかかれない。

困っていると長屋の連中が少しづつ出してくれて、医者に見てもらえる。
みんなにお金を返そうと思って質屋に行く。
質屋の親爺は貸せない貸せないと言うけども、結局は大工道具を質草にお金を貸してくれる。

いや、そんな時代が本当にあったのかどうかはわからない。
でも、それだから生きていられるんだよな、と思う。

いくらお城に住まわしてあげよう、って言われたって、
井戸端が無いところでは、人は暮らせない。
井戸はお城にだってあるだろうけど、井戸端は無い。

志の輔が一升は入る大杯の酒を、時間をかけて、それは美味しそうに飲む。
良かったね、ハチ。って思う。

2011/12/04

オフ。

12月に入った。
年賀状の宛名を整理しながら、ぼんやりと考える。

サムライズは全く動かない状況になっている。
何のために、これだけの年月(といっても十年そこそこだが)いろいろなものを脇に押しやってアマチュア社会人演劇をやってきたのだろうか、と最近よく考える。

どうして、それがやれなくなってしまったんだろうか、と思う。
古い日記を読むと「このメンバーでやれる事がまだあるはずだ」と、当時の自分が吠えている様子が見られる。
演劇というのはとても効率の悪い表現方法で、ただ単に自分がやりたいだけ、では全く作る事ができない。
どんな仲間に恵まれるのか、ということが何よりもまず大事だ。

この人たちと一緒ならどこまででも行けるだろう、という根拠の無い確信があって、それで初めて、長く大変な稽古期間を乗り越えることができる。
自分のことだけを考えるのなら、とてもでは無いが続けられない。

だから、そのモチベーションが下がってしまった、という事なのだろう。
少なくとも現状のように、俺が声を上げなければ動かない、というのでは、声を上げる必要を感じる事ができない。

これで良いのかもしれない。
サムライズはとても良いチームだったが、時間の流れには勝つことができない。

この人たちとなら新しい景色が見られるはずだ、という根拠の無い確信が得られる日まで眠らせておいても良いのかもしれない。

始めるのは簡単で、続けるのは大変だけど、一番大変なのはいつだって終わらせる時だ。

今日は一日雨らしい。

2011/11/21

ブルーベリー、おしまい。

新庄演劇祭、終了。

楯高祭から始まった今年の大会作品「ブルーベリー」の上演も、これでおしまい。
今年は二年ぶりに県大会に進むこともでき、とりあえず納得のいく形で終われたので良かったと思う。

評価してもらうことだけを考えれば、そりゃどこまで行ったって、それこそNHKで放映されないかぎりは納得なんてしないのだろうけど、そういうことではなくて、表現として半端なかたちで終わらなくて良かった、ということで。

ウチは7月のあたまくらいから大会用の芝居を創るのだけど、9月の地区大会時点では「どうにかお見せできる」レベルまでしか仕上がらない。
敬愛する杉内先生のところみたいに春先から大会用の芝居を創れば良いのだろうけど、なかなかそこまで思い切ったことはできない。

11月の県大会くらいまで全速で稽古して、やっと作品として恥ずかしくない程度のものになると思う。
今年はそこまでやれたので、幸せだった。

新庄演劇祭ではキャストを入れ替えて一年生をメインキャストにしてみた。
一時間の舞台を一年生だけで支える、という経験をこのタイミングでさせていただけたのは非常にありがたかったと思う。

当初の予定では「この経験をフィードバックして、東北大会で更に良い舞台にする」はずだったのだが(苦笑)、まぁそれは仕方ない。
や、言うだけだったら何でも言えるので、このぐらいのことは言ってみよう。

ともあれ、今年は幸せな舞台が作れたと思う。
関係の皆さんに深く感謝。

2011/08/06

通してみた。

とにかく台詞を入れてしまって、通し稽古をしてしまおう。
という戦略なので、ドシドシ台詞を覚えて通し稽古をしてみた。

いやー。当たり前だが面白くない。
今回の芝居も、小さい世界での小さい気持ちのやり取りを、細々と描いている。
台詞だけ入っても仕方ない。

その台詞の後に目線をどこに送るのが適切か。とか、
その台詞の前の間をもう少し長く取るべきではないか。とか、
そんなコマゴマとした部分が積み重ならないと、舞台が立ち上がってこない。

一応、ビデオを撮ったので、みんなで観てみる。
「これじゃダメだねー」という感じで、がっかりすることは大事だ。
夏休みもまだ半分残ってるし、これからか。


舞台装置でブルーベリーの木を一生懸命作っている。
「ふるゆぎば」以来、久しぶりの木だ。
何を素材にして作ろうかと考えたのだが、小さいものなので枝を拾って来て加工することにした。工作的なことをするのは楽しい。

一日稽古と半日稽古を繰り返しているのだが、一日稽古が長過ぎて集中が保たない。
なにせ暑い。効果音かと思うくらいのセミの声。

2011/07/30

近況

前回、日記を書いたのが三月末。
年度が変わり、一学年の副担任を拝命し、教職員組合の地区の書記長を引き受け、演劇部には四人の新入生が入り、定期公演は新作「蛍」を上演し、 組合の企画で一週間大船渡に行かせてもらい、夏になった。

毎度のことではあるのだが、ちょっと日記を書かないでいると、あっという間に時間が過ぎてしまう。

近況。
新作が書き上がった。

正確に言えば、まだ回想の場面が一つ残っているのだが、ここは生徒に任せることにした。
「蛍」もそうだったのだが、今回の作品も生徒に「ストーリーメーカー」(大塚英志,アスキー新書)を渡し、その書式に従って物語を作らせ(もちろん、近藤も作る)出て来た物語の種たちについて全員で話し合い、一つを選んでプロットを練り、ある程度方向性が見えたところで台詞書きを近藤が担当する、という手法をとっている。

前回に引き続き、今回も近藤の話の種は生徒の支持を得られず、お蔵入り。
物語のアイディアを出す才能に恵まれないのは、仕方ないだろうと思う。

それで、今回は「自分の意見を言うことができない女の子の話」になった。
自分の意見を言うことができなくなった理由はクラス内でのイジメ。
我ながら手垢にまみれた題材で、生徒が支持しなければ自分からは絶対に書かない類の話なのだが、しかし、書く可能性のなかった話を書いてみる、というのはなかなか楽しい。

現状、高校生女子がどのようなイジメ(被害加害)を体験しているのか、というのは当事者である彼女らが詳しいわけで、「主人公がいじめられた回想」というもののアイディアは彼女らに出してもらうのが妥当だろう。

回想の場面の台詞案は生徒に出してもらうことにした。
もちろん、場面として整えるのは、近藤の仕事。

出来たところから順に読み稽古に入っているので、稽古を始めて二週間程になる。
今回の舞台は方言で演じてみる事にした。

生徒たちは方言と標準語の混ざった言葉を、日常的な話し方として採用している。
日常的な話し方は意識されないので、これを台詞として固定する事は大変難しい。

文字としての脚本は標準語ベースで書いてあるわけで、これを方言で演じようとすると、どこの田舎の親爺が話しているのか、というような嘘くさい方言になってしまう。まるでテレビドラマで、方言指導を受けて、作られた東北方言を話している役者のようだ。
「普段話している言葉を意識するように」とは以前から言っていたものの、実際にやってみるとやはり難しい。

普段話している話し方は「アナウンサーが話している標準語」と「爺っちゃん婆っちゃんが話している方言」の間にあるわけで、どの濃度で方言を話せば良いのか、というのは試行錯誤していくしかない。
ちょっと方言に振れすぎ、とか、標準語に戻しすぎ、とか、やっているうちに適切な位置にたどり着く事ができる。

そうして、たどり着いた場所は、やっぱり「会話」としてしっくり成立する場所なのだ。
だが、この場所を文字として書き置くことはできない。

最近気付いたのだが、「ダ行」の鼻濁音というものがあるようだ。
「だからね」という意味の方言で「んだがらよぉ」という言い方があるが、この時の「だ」は鼻濁音の「だ」だと思う。
鼻濁音の「ガ行」は一応、「か」に「半濁音の○」をつける表記になっているようなので、鼻濁音の「ダ行」も「半濁音の○」をつけたい。

だが、残念ながら私のパソコンでは鼻濁音のガも鼻濁音のダも打ち出す事はできないのだ。
生徒たちには、「かがんねがらおべどげよー(書けないので覚えておけよ)」というしかない。

みんな、方言にすると楽しい、と言って、嬉々として稽古しているので、たぶんこれで良いのだろうと思う。
良い芝居になりますように。

2011/03/29

神の子どもたちはみな踊る

村上春樹に「神の子どもたちはみな踊る」という短編集がある。
一番目の作品は「UFOが釧路に降りる」という題名の話。
この中に阪神淡路大震災の折りに、ずーっとテレビのニュースを見続け、そのあと失踪してしまう女性が出てくる。

あの震災からの数日間、僕もずーっとテレビのニュースを見続けて、ああ、読み返さなきゃな、と思っていたのだが、やっと本の山の中から発掘して読むことができた。

何回読んでもよく分からない話なのだが、やっぱり、今回もよく分からなかった。
なぜ、二人の女性はまるで双子のような印象なのか。汚いラーメン屋は何のメタファなのか。どうして片方の女性と性交を試みることになるのか。

おおむね、よくわからないのだが、腑に落ちるところは以前より増えた気もする。
テレビを見続けたのち実家に帰ってしまった妻が「死んでしまった」ことになっている点や、箱の中身が空っぽに感じられるところ、UFOに連れ去られてしまったかもしれないサエキさんの奥さん、そして、最後にシマオさんが胸の上に描く複雑な模様。

そういったところは、たしかにこのように書くべきところだ、というふうに、しっくりと納得することができる。

震災について物語るときに、このような形で物語ることを決めた村上春樹に、改めて尊敬の念を寄せる。

2011/03/27

仕分けボランティア

土日はボランティア。
やれる時に、やれる人が、ということで、無理をしないように行く。

先週とはずいぶん状況が変わっていて、たくさんの荷物がドッと来て戦場のようになる、ということは無くなった。

代わりに、細かく品物ごとに分類して、丁寧に箱詰めしよう、ということになっていた。
服やオムツであればサイズごとに、医薬品であれば症状別に、ガスカートリッジであればメーカーごとに。

オムツにはお尻拭きを入れ床に敷くバスタオルも同梱する。下着であれば小さな鞄も同梱する。

寝袋とかテントは要請が減っているよ、ということだった。
生活支援の時期に入っているので、衛生用品や消耗品、調味料などに需要が移っているのだそうだ。

と、思ったら、今日の最後の仕事は「封筒型の寝袋ができるだけ多く必要」ということで、寝袋が入っている全ての段ボールを開けて封筒型のものだけ選って詰め直す、というものだった。

なるほど。

アウトドアの人でなければマミー型(サナギみたいな形のね)の寝袋はリラックスできない、ということだろうし、それよりもまだ寝袋を必要としている人がいる、ということなのだ。

もう、二週間も経つというのに、この雪の舞うなか、寒い思いをして横になっている人がいるのだ。

とにかく、ガソリンも無いのだし、現地に行ってもまだ役に立つことは出来ないだろう。

出来ることを、出来るときに。
長期に渡って、お手伝いができるように、肚を据えていこう。

辰野会長は、夕方、天童に戻って来た。
被災地を回ってこられたようだ。

ああ、大学時代にカヌー部で一緒だったアベ君に偶然再会した。
モンベルに勤めているのだそうだ。
17年ぶり?
こんなこともあるんだなぁ、と感慨深い。

2011/03/25

部活再開

JRが開通したので、ぼちぼち部活を始めた。

三月下旬に予定していた老人福祉施設ボランティア公演は全日程が中止になった。
用意していた演目「Is−アイズ−」は校内被服室で、新入生歓迎公演として一回きりの上演になる。発表する機会があるだけでもありがたいと思わねばならない。

三月いっぱいは、さる事情により全員揃うことが出来ないので、春先に向けていろいろと準備する。

いろいろと、の内訳は以下の通り。
1.「今年度のまとめ」冊子を作成。
本当は三年生が卒業する前に作って卒業記念として渡すのがスジだと思うのだが、やっぱり今年度も作ることができなかった。
今回は一年生のモエさんに編集長をお願いしたので、来年度は活動しながら同時並行で記事の収集もできるだろう。そうすると、発行も早めにできるのではなかろうか。

2.新入生部活動紹介のネタ仕込み。
去年は殺陣をやったのだが、今年はダンスの予定。
基礎練習の一環として、長らくエグザイルのchoo choo train(2分ver.)を踊っていたのだが、それを部活動紹介で踊ることにした。
ただし、まだ最後まで完成していない。当初、3月中になんとかする予定だったのだが、登校が封じられていたので未完成。だが、これはシオリさんが何とかしてくれるであろう。

3.体験入部の内容を考える。
いつも通り“基礎練習をして新入生歓迎公演の練習をする”という「部活動見学」の方が楽なのだが、「体験入部」と称してコミュニケーションワークショップのようなことをやる。
演劇は「コミュニケーションが上手くいったりいかなかったりする様子」を見せることが得意な表現様式なので、自分たちがどのようにコミュニケーションをとっているのかということをできるだけ正確に認識するのはとても大事。
ということでワークショップを行なう。
もちろん、単純に楽しいから、ということも有る。

4.ポスター書き
ウチの学校は部活動紹介ポスターの枚数に制限があるのだが、演劇部のポスターは新入生歓迎公演の宣伝、という名目で制限枚数をかなり超えた枚数を貼らせてもらっている。
実は、二年前に制限通りの枚数しか貼らなかった年があって、その時の新入生が一人だったのだ。この地区の中学校に演劇部は無いので、新入生にとってはナンダカワカラナイ部活、の筆頭が演劇部なのだ。PRしないと存在すら知られないままだ。

以上、4点に加えて、四月からは公演の稽古もしていくことになる。

部活再開初日は、とりあえず、まとめ冊子の編集会議。
時間に余裕が無かったので、基礎練習も出来なかった。

次の日は新入生説明会があったので、例年通りチラシを配ってPR。
チラシ配りまで時間があったので、久しぶりに基礎練習をした。
一緒にやったのだが、最近は侍'zの稽古も無く、授業で声を出すこともなかったので、声が出なくなっていた。すぐに衰えるものだ。

黙祷した後、小さな声で宮澤賢治の「雨ニモマケズ」を読む。
教育が仕事なので、自分にできることは有為の人材を育てることだけだ。
デクノボーと呼ばれながら愚直に東奔西走することができる人材を育てることだけだ。

高校生の頃はなぜデクノボーと呼ばれる人になりたいのか、意味が分からなかったけど、今はわかる。

その後、コミュニケーションワークショップの練習。
仕切りは基礎練習隊長のアサミさん。
初めてなので、やっぱりうまくいかない。
何度もやってみるしかないな。俺が仕切るんじゃ面白みがない。

その後、チラシ配りをして、解散。
土日はガソリン無くて学校に来にくい人もいるだろうから、部活無し。

2011/03/21

モンベルのアウトドア義援隊ボランティア

facebookでウロウロしていたら、
モンベルが義援品を集めて被災地に送るプロジェクトの現地本部を天童に置いた、という情報を得た。
仕分けのボランティアが足りない、とのこと。

記事を書かれた渡会さんにメッセージを送ってみたら、ボランティアに来ても良い、ということだったので、早速行ってきた。

モンベル、と言えば、高校時代の山道具はザックもシュラフ(夏用も冬用も)も雨具もモンベルだった。
山岳部の部室にはモンベルのカタログがあり、高校生でお金の無い我々は、そのカタログを毎日眺めてすごしていた。ムーンライトテントがどれだけ魅力的だったことか。ストームクルーザーにどれだけ憧れたことか。

社長の辰野という人は滝をカヌーで下るらしい、という話で、カタログには今にも滝を落ちようとしている辰野さんの写真が載っていたりして、その名前はカヌーイストの野田知祐さんがビーパルで連載してるエッセイにもよく出てきたりして、だから、今朝、ボランティアの現場に行って、おはようございますって頭下げたら「こんにちは、モンベルの辰野です」って言われたときは一瞬固まってしまった。

この人が、と思って「滝、カヌーで下ってるのとか、高校時代に見てて、ヒーローでした」とか訳の分からないことを言ったら、「過去形か」と突っ込まれたりして。

仕事は、全国から集まってきた義援品の仕分け。
昨日の時点で10tトラック2台分、2tトラック2台分、計24t分の義援品が大きな工場跡に運び込まれており、広い空間が区分けされ、食料・衣料・テント・シュラフ・コンロ等々に分類され配置されている。

義援品をお送りいただく時に、品目別に段ボールに入れていただく、という事は全国的に広く知れ渡っているようで、ほとんどの段ボールには単一種類の物品が収められている。

具体的な仕事の内容としては、
全ての段ボールを開いて、中身を確認し、仕分けが必要なものについては仕分けを行なう。
その後、余分な空間が無いように段ボールに詰め直し、品名を側面に書き、種類ごとにパレットの上に積み上げ、まとめておく。
というようなもの。

段ボールのサイズがさまざまだし、我々はそういった作業に慣れていないので、積んだり積み直したりを繰り返すと、けっこうな量の肉体労働になる。

お昼には昼食をご馳走していただいた。
震災に関わるボランティアなので基本的にはアゴアシくらい自分で確保すべきなのだと思うのだが、炊き出しをしていただき、非常に恐縮だった。
シチューと炊きたてのご飯、大変、美味しゅうございました。

渡会さんとそのお友達の方々と昼食をご一緒させていただく。
皆さん、気さくで良い方でした。
お話に入れていただいたので、寂しくありませんでした。

午後も作業。
さらにクロネコさんのトラックが到着したので荷下ろし、仕分け。
その後、被災地に向かう4tウイングのトラックが来たので、パレットに積んでおいた仕分け済みの義援品をトラックに積み込む。

隙間なく、ギッシリと積む。
重いものも軽いものもある。大きい段ボールも小さい段ボールもある。
みんなでバケツリレーの要領で積み込む。

今日の作業はここまで。
17時。
ずいぶんたくさん積み込んだ気がしたが、作業場に積んである段ボールを見ると、ほとんど減ってない気がする。それだけたくさんの方々の善意が、集まっているのだ。

明日以降も作業は続くのだが、ほとんど社会人のボランティアなので、平日は人数が減ってしまうだろう。
余裕のある方は、ぜひどうぞ。
4月以降も、この活動は続くそうです。

思ったんだけど、みんな名札をつけた方がいいな。
ガムテープにマジックで名前書いて、胸に貼るだけでいいから。
せっかく一緒に作業をしたのに、名前も知らないのは残念だ。

ひさしぶりの肉体労働。とても有意義でした。

2011/03/20

階段

昨晩23時頃、実家の父からメール。
母が階段から落ちて救急車で搬送。現在、日本海病院の集中治療室にいる。
とのこと。

そのメールだけが来て、あとは連絡がとれない。

24時40分頃、電話が繋がる。
目の上を3針、耳の下をグルリ縫ったらしい。
目と耳の機能には問題無し。意識も明瞭。

今すぐどうこう、というわけではなさそうだが、明朝、帰酒することにした。

酒田まで100km。
たいした距離ではないのだがガソリンが無いので、とにかくエコ運転。
軽自動車で燃費が良いのが助かる。
2500回転以下での運行なので、時速が60km/hくらいしか出ない。

救急入り口から入り、父と一緒にHCUに。
右目の上まぶたに見える内出血が痛々しいが、縫い目もきれいだし、しっかりと話せる。
体力を消耗しているようで、しばらく話したら、すぐに眠ってしまった。

母は「大丈夫だから、すぐに帰れ」と言うのだが(そういう人だ)、とりあえず家に帰り父のいれてくれたコーヒーを飲む。
実家の階段はとても急勾配で、僕も小さい頃に足を踏み外して落ちたことがある。
小さい子は身体がやわらかいのでケガなどしないわけだが、母はもちろんそうではない。

二階で暮らすのは止した方がいいんじゃないか、とも言ってみたが、家の間取りがそういうふうになってるので難しいのだろう。
僕ら3人兄弟の子育てをするつもりで建てた家だし、その当時は父も、えーっと、33歳か。そりゃ、老後の事まで考えた設計などしないだろう。
その父もすでに65歳を越えたのだが、今年の9月までは働かねばならないのだと言う。
もう辞めたらいいのに、というような話を、コーヒーを飲みながら、する。

町内会の件でお客さんがいらっしゃったようなので、一人で病院に戻る。
そろそろ昼食の時間だろう。

日本海病院には入ったことが無かったのだが、少し入り組んだ構造になっている。
一人だとちょっと迷う。

病室に入ると、母は眠っていた。

ベッド脇の丸イスに腰掛けて、母の顔を眺めてみる。
元気に話しているときは気付かないわけだが、こうして眠っている様子を見ていると、当然だが、歳をとったのだな、と思う。
こんなに小さい人だったかしら、と思う。

目を覚ますと、父の所在を尋ねてくる。
町内会で、、、と言いかけたら、父がドアを開けて入って来た。
丁度のタイミングなので、少し驚く。
夫婦っていうものはそういうものか。

早く帰れ、というので、家路につく。
帰りも安全運転。

あ、酒田のスーパーでは納豆を売っていたので驚く。
あと山崎パンの流通は一部回復したらしい。アンパンが食べれて嬉しかった。
いいぞヤマパン。

2011/03/19

一週間経ちました。

地震から一週間が経過。
東根ではすっかり日常の生活が戻ってきている。
どこのお店に行っても棚がガラガラであること、とか、ガソリンスタンドに連日長蛇の行列が生じていること、とか、そんなことはあるものの、家でじっとしているだけならば何ということも無い。

今朝、灯油を買いに出かけてみた。
ガソリンを求める車の列は、あいかわらず大変な事になっていたが、欲しいのは灯油なのでスタンドの近くに車を停め、ポリタンクを持って歩く。
20人くらいは並んでいたが、30分程待つと買えた。

偶然、列の後ろに並んでいたのが、いつもタントクルの受付でお世話になる方で、しばらくお話しする事ができたのだが、やはりこの近辺では燃料不足が一番大きな問題だと思われる。
スタンドの方のお話では毎日タンクローリーは来るのだけど、昼までで閉店にするという。売り切れるのだろう。

今日あたりは比較的暖かいので、灯油ストーブも点けないでしのげるのだが、来週はまた冷え込むとのこと。

先日の大雪(楯岡の雪も酷かった!学校総出でズブ濡れで除雪したのに、2時間経ったらまた同じくらい積もってた!少なく見積もっても100cmは積もったはず)の際も思ったのだが、被災地ではどれだけ寒い思いをして避難所暮らしをしてらっしゃるだろうか。
本当に天を仰ぐしかない。

JR奥羽本線の復旧見通しが立たないので、生徒の登校は最小限にとどめる事、という通達が来た。
学校は24日の修了式/離任式までお休み。
部活で登校させるのも望ましくない、とのことで一切の部活動がストップ。
ボランティア上演も無しになってしまった。
しかし、まあ、元気で暮らせるだけでもありがたいと思わねばならない。

侍'zもガソリンのメドがつくまでお休み。北は新庄、南は山形から集まって稽古をしているので、ガソリンが来ないのでは身動きが取れない。

原子力発電所が大変な事になっていて、学校にいるとあちこちから解説を求められる。
一応、理科を教えて暮らしているので、噛み砕いて説明をしたいのだが、なかなか難しい。
半減期、って言葉をうっかり使ったりすると、半減期の説明をするために更にヤヤコしい事を説明しなきゃならなくなったりして。
本当に「一言で説明できないようなモノ」の恩恵で、我々は普段の生活を成り立たせているんだなぁ、と痛感。

政府の言う「20km圏内退避。30km圏内屋内待機」は、妥当だろう、と思う。
データが偽りの無いものなら、論理的に考えて、その措置で大丈夫だと思う。
一方で、心情としては、危ない距離では無いけど逃げたい、という気持ちもよく分かる。

例えば自分が35kmの場所に住んでいたとして、危なくないから普段通りに暮らしても大丈夫だ、と頭でわかっていても、心穏やかに暮らせるとは思えない。

この一週間は自分の弱さと向き合わなければならないことが、ずいぶんたくさんあった。
結局ガソリンだって2000円分詰めてしまったのだし、電池だって少し買いすぎたように思う。
元来、弱い人間なので、あまり大した事はできないし、言ってることとやってることが違うじゃないか、ということもある。
あるのだけど、それでも何か自分に出来ることは無いだろうか。

2011/03/12

地震翌日。

3月11日、14時46分、地震。

縦揺れを含む、大きな横揺れ。
揺れが弱くなったところで外を見てみると、何人かの先生が玄関から外に出ており、中に居ると危険だから降りてこい、という。
まだ揺れが収まっていないが、とにかく階段を降りて外に出る。
外は小雪。

校舎はこの夏に耐震工事をしたばかり。とにかく持ちこたえてくれたのは偉い。
揺れの収まりを待って、校内のチェック。

職員室の蛍光灯を吊り下げている支持棒が天井から外れ、蛍光灯全体が傾いてぶら下がっている。というのが4灯。
薬品庫を確認しに行くが、特に薬品の漏れ等も無い。狭い薬品庫にいる間にも大きめの余震が二回。

携帯電話はかなり混雑している。
まれに繋がるがすぐに切れる。
メールは10回のうち2回くらいは、送れるかもしれない。届くかどうかは不明。

入試関係の業務をしていたのだが、全て中止して帰宅。16時。

停電につき、信号が消えている。
消防団の方が法被を着て、十字路に立ってらっしゃる。頭が下がる思いだ。

家に寄って妻の安全を確認。棚なども倒れずに済んだようだ。

タントクルセンターに行き、演劇部の生徒たちの安否を確認。何人かはすでに帰宅してしまった様子。携帯電話でその場待機を指示したのだが、メールが届かなかったようだ。
保護者の方に迎えに来ていただき、全員帰宅を見届ける。
一人、友人宅に避難していて所在不明になった生徒がおり、しばらく慌てる。

タントクルセンターは市の避難所になっているようだ。
発電機が起動して、自動ドアが動きだし、電気が点く。すばらしい。
市民の方が避難に訪れる。消防の方が箱に入った毛布を受付に届けに来る。

演劇部員全員の無事が一応確認できたので帰宅。18時30分。

町は完全に停電。
信号は無いのだが、自動車の往来はさほど不便しないようだ。
ヘッドライトを点滅させたりして、十字路も混乱無く走れる。

自宅も、もちろん停電。
うちは灯油ストーブを使っているので、その炎と懐中電灯の明かりですごす。
さきほど、演劇部の保護者の方にいただいた食パンをかじる。
妻がパスタを茹でてくれる。
ガスはプロパンだし、幸いなことに水道も大丈夫。

携帯電話の充電はずっと以前にコンビニで買った乾電池式の充電器を使用。
乾電池が6本程あるので、それで凌ごう。
懐中電灯はLED式のもの。白色光だし、電池の消費も少ない。

携帯ワンセグで情報を得る。
見たこともないような津波。火災。どうなっているんだ。

余震も続く。大きい揺れが来るたびに二人で棚を押さえる。
妻がギターを弾く。音楽の力は大きい。

冷え込みが厳しい。水道の凍結を防ぐために元栓を閉める。
とりあえず布団に入ってみるが、うまく眠れない。
目覚めるたびに、携帯のワンセグを見る。
夜明けまでの時間を数える。
余震は止まない。

明けて12日。
妻は夜明け前に起きてしまったようだ。

とりあえず、学校に行ってみる。雪が積もっている。
2学年が保護者を含む集会を予定していたのだが、中止(延期?)。一応、二学年担任団が出勤し、電話対応などをしている。学校の電話は一本だけ非常用で通じる回線がある。

とにかく電池が欲しいので、近くのツルハに歩いて行くも開店せず。
近所のダイユーエイトに行ってみる。
駐車場に車が停まっている。開店しているらしい。入り口に行列。並んでみる。
最初、若干の混乱。満員電車程度の混雑。
停電のためレジが動かず、品名、JANコード?、品数、値段をメモした上で、電卓で計算してお金のやりとりをしているようだ。
なかなか列が動かず、誰かが大きな声を出したりする。が、まわりが宥めたのか、すぐに落ち着く。

入場規制が敷かれて一人当たりの空間が広がり、空気が安定する。混雑は敵だ。
知らない人同士だが、ボソボソと情報交換したりする。時折、笑いが起きたりする。互いをいたわるような、笑い。

レジ近くの空間だけ解放されて、乾電池、ロウソク・マッチ、カップラーメン等が並べられている。必要ならば店員さんに言うと持って来てくれる。

乾電池は豊富にある。いつまで電力供給が止まったままなのか分からないので多めに買う。単三電池の16本パック。それから使い捨てライターを一本。最低限のものだけを買おう。

出口のところで、マサル先生に会う。乾電池はまだ十分にあるよ。大丈夫。
教え子のコースケにも会う。彼は介護職だが、職場の買い出しで来ているようだ。偉い。頑張ってくれ。

隣のヤマザワは行列になっているので、通り過ぎる。
村山のオーバンに行くと、玄関先で長机を並べて営業をしている。食パン一斤、カップラーメン4つ、鶏肉1パックを所望。買いすぎないように、買いすぎないように、と自分に言い聞かせる。
晴れていて良かった。これが吹雪ならこんな事はできなかったろう。

とりあえず、帰宅。
妻が眠っている。が、帰宅の物音で起きてしまう。睡眠が浅くて疲れが取れていない様子。
避難所暮らしの方のご苦労を思う。

鶏肉をフライパンで炒める。
買い置きの鶏肉もあったので、少し塩をして、全部炒める。
冷蔵庫は動いていない。

妻が野菜と灯油がない、というのでさらに買い出しに出かける。
なんだか、道路が通行止めになっているので、引き返して迂回する。なんだったんだろう。救急車かな。救急車と消防車のサイレンはとても多い。

今度は東根のオーバン。
入り口のところで、店員さんがメモを取ってくれて中から商品を持って来てくれる。外のテントで会計するシステム。もちろん電卓で手計算。
白菜1/4、トマトジュース、タマネギ、チャルメラ5食パックを購入。

東根のイオンに行くが、完全に閉店。張り紙には売り切れの文字。
他のお客さんが困っていたので、オーバンは開いている旨、伝える。

灯油が無いのでガソリンスタンドに向かう。
踏切に通行止めが置かれており、遮断機が半分閉まっているが、電車は走っていないはずなので注意して渡る。

途中のセーブオンでも店先で販売しているので、寄る。
シュークリームが山積みになっていたので買う。あと、レトルトカレーも。

ガソリンスタンド付近はひどい混雑。
ガソリンそのものはまだ半分くらいあるので大丈夫。灯油だけ欲しい。
30分くらい並ぶ。その都度アイドリングストップ。

公家さんからメール、ご実家は福島中通り。皆さん無事とのこと、何より。

順番が来て、灯油は、、、と聞くと売ってないらしい。どこに行っても品切れじゃないか、という話。
スタンドを出てから、ガソリン入れて来るんだったか、とチラと後悔。
いや、大丈夫、まだあるんだから、必要なものだけ買おう。

帰宅。眠くなってしまったので、少し寝る。
本当は日のあるうちにいろいろやっておいた方が良いのだろうが、一通りやってしまったので何とかなるだろう。

16時すぎに目覚める。
余震は続く。携帯のテレビを見る。
西の空がぼんやりと赤くなっていく。おだやかな夕焼け。

18時、電力復旧。
良かった。
全体として電力が足りていない、とのことなので、最小限の電力使用にする。
妻がインターネットは電気をすごく使う、というので、メールを送ってはスリープさせ、を繰り返す。

とにかく電気がある、ということがどれだけありがたいことか。
ネット経由で多くの方から励ましをいただく。多謝。

山形は被害が少ないです。太平洋側が酷いことになってます。
この度の地震で被災されたみなさまに心からお見舞い申し上げます。

2011/03/06

お墓参り

3月10日は義母の命日なので、秋田までお墓参りに行って来た。
東北中央道が断続的に開通しているので、意外に早く到着する。
尾花沢ー新庄、金山の県境手前付近、雄勝ー横手。
横手から秋田までも高速道路が通っているのだけど、ここは有料区間なので利用せず。

4時間ちょっとあれば着くようだ。
休憩無しで走ったので少しくたびれてしまったらしい、夜の10時くらいにSPを見ながら眠ってしまう。
岡田くん恰好いい、っていうのと香川照之はすごいなぁ、っていうのしか覚えてない。

妻の実家には二匹の犬がいるのだが、シャンという子の方はだんだん老いてきてイボとかができている。正月前にはけっこう大きな手術をしたそうだ。
術後は良好らしいので安心だが、犬が年を取っていくのをみるのは、やはり切ない。

で、秋田の家は断熱がしっかりしていて、寒くない。というか、暑い。
暑くて目が覚めてしまう。
さらに、普段は平べったい布団に寝ているので、ベッドで眠ると身体がマットの中に沈んでバキバキに凝ってしまう。
いかに我々が貧しい暮らしをしているか、ということなのだが、ま、それは仕方ないよね。

で、途中で何度も起きるので、その度に物語のプロットについて考える。
春の定期公演の演目だが、今年も書いてみようかと思うのだ。
1人しかいない二年生にどんなのがやりたい?と聞いてみたら、超能力ものだと言う。
超能力ものって、舞台の上でやるのはとても難しいと思うのだが、定期公演だし、やりたいことを好きにやるってのは大事だろう。
土田先輩も以前は毎年春に、無茶な恋愛ミュージカルを書いてたっていうし。

超能力ものといえば、宮部みゆきの「クロスファイア」の元になった短編集「鳩笛草」とか、伊坂幸太郎の「魔王」とか、とても好きなので、ああいう話が書けるといいなぁ、と思う。
や、そりゃ、もちろんそんなの書けるはずは無いのだが。

昼前にお墓まで出かけていってお参り。
今年は雪が少ないらしく、山の上のお墓まで行くことができる。
長靴ではないので、かなり用心深く雪を踏み固めないと大変。
山から降りて来て、お寺さんの中の位牌堂で供物を並べていると雨が降って来る。
来年は十三回忌。

帰り道も高速道路を使ったのだが、秋田のイオンと大曲のイオンをはしごする。
妻が春物を買いたかったらしい。
女の子向けの洋服売り場を延々とお供する。
柔らかそうな服が多くて和むわね。

帰りは新庄の一龍であんかけ焼きそばを食べる。
山形市内の一龍は全撤退してしまい、新庄の一龍が残っているのは知っていたのだが、中に入るのは数年ぶりだった。5年?8年?や、10年?
テーブルの上に載った焼きそばの量が多いので怯む。
こんなに多かったっけ。

2011/03/02

卒業式

3月1日は卒業式だった。
三年ぶりに学年団に入れてもらったのだが、やはり学校というところは学年に入っていてこそ楽しい、ということを実感した一年間だった。

担任団に入っていると、生徒と直接向かい合う機会が格段に多くなる。
ほんとはクラス担任が一番楽しいに決まっているのだが(と同時に、忙しさも一番なのだが)しかし担任になれる人数は限られているので、それは仕方ない。

卒業式が終わると、部活動の後輩たちが昇降口の外で先輩を待っていて、部活動ごとに花束を渡したり写真を撮ったりする。
今年は比較的天候が穏やかだったので、待っている下級生も少しは楽だったようだ。
書道のマサル先生の計らいだろうか、「祝卒業」と墨痕鮮やかな大きな書がパネルに貼ってあって、その前で集合写真が撮れるようになっていた。

演劇部のみんなも、最後のホームルームを終えて出て来る。
ちょっと広いところに移動して、花束贈呈と写真撮影。
彼らが一年生のときの最初の定期公演から、最後の定期公演まで5作品を収めたDVDを記念に渡す。
ハグイの制服のボタンがあちこち取れているのが微笑ましい。
モリタニのボタンが取れてないのも微笑ましい。

彼らとは、これから先もずっと関係が続くと思っているので、これが長いお別れになるわけではない。とりあえず、夏まで達者に暮らせよ、という感じで送り出すことができた。

その後、アンジェリーナで祝賀会。
たくさんの保護者の方にお話を伺うことができた。
家庭の教育力っていうのは、本当に大きなものだな、と実感する。

たとえば、看護系に進学した高橋さん。
彼女の面接練習をした時に、コミュニケーション能力の高さに感心したのだが、お母さんの話では幼少の頃は全く要領を得ない話ぶりだったそうだ。
夕飯を作っているお母さんの腰のところで、幼い彼女は一生懸命話をするのだが、何がどうしたのか、全然わからなかったと言う。
で、お母さんは、根気づよく彼女の話に質問を挟みながら毎日聞いてあげたらしい。

なるほど。

あるいは、化学にすすんだマコト君。
彼は中学生の頃にテルミット反応を自力でやってみた、という経験を持つ。
お父さんがいろいろと準備してくれたのだという。その時は失敗したのだが、高校でテルミットを見て、いたく感動したらしい。
そのお父さんの話も聞くことができた。お父さんは中学校技術の先生で、彼のために、というよりは、むしろお父さん自身が楽しんで(酔っぱらって、なんて仰ってたが)実験をしていたようだ。
父親がそうやって楽しんでいれば、そりゃ、息子だって化学が好きになるだろう。

そういう話を保護者の方から直接聞けるっていうのが、祝賀会のいい所よね。

みなさん、ご卒業おめでとうございました。
中期、後期試験を受験するみなさんは、もう少しのあいだ、頑張りましょう。

2011/02/28

朗読会の打ち合わせ

仕事が終わった後に新庄まで行って来た。
たいへんお世話になっている近江先生がこの春でご退職なさるので、昨年の末に刊行された先生の詩集「ある日ぼくの魂が」の朗読会を4月に開かせていただくことになった。

一応、近藤も発起人、ということにはなっているものの、実際に案内状の文面を作成したり企画を練って下さっているのは幻野の織江さんと美代さんだし、あれこれと調整して下さっているのは研さんだ。
今日は、もう少し細かい案を練る、ということだったので、新庄市民プラザまで出かける。

7時からのミーティングだったのだが、明日の卒業式のあれこれをしているうちに少し遅れてしまう。すでに皆さんお揃いで、お待たせしてしまった。

今日の議題は、出席予定者の確認と、朗読する作品の確定、それから式次第である。
3時間くらいの会だし、基本的には結婚式場を使った食事会という様式なので、あんまりたくさんの作品を読むことはできない。

朗読する人は8人。時間的には10作品程度か。
最後に近江先生本人に1作品読んでいただくことにして、とすると8人で9作品。
とりあえず、1人2本くらい読みたい作品を挙げていくことにする。事前の打ち合わせなく挙げていったのだが、不思議なくらいに重複が無い。

良い詩だと思うけど、俺が朗読すべきではないだろうな、という作品は、きちんとそれを読むに相応しい人が手を上げてくれる。
詩なので、もちろん、今ひとつピンと来ないな、という作品もあるわけだが、そういう作品が胸に迫る人もいる。

面白いもんだな、と思う。
1人の人間の表現として、これだけ多様なものが結晶しているということは、面白いことだ。

結局全部で16の作品が朗読されることになった。
いろいろな役者さんの朗読を聞くことができるのは、とても楽しみだ。

帰宅。
卒業生に渡すDVDをひたすら焼き付ける。

2011/02/27

ビデオ編集

ここしばらく、ずっとビデオの編集をしていた。
「叩けば、音は聞こえる」と「わさいぶ(はなまる)新庄演劇祭ver」の二本。
卒業生に渡すために3月1日まで仕上げなければならない、と少し焦って作業していたのだが、どうやら間に合ったようだ。

二台のカメラで撮影したものをマックのiMovieで一つに合わせる。
片方のデータから音だけを吸い出して、その音の上に別のデータの映像を重ねる。
ソフトの扱いに慣れるまではけっこう大変な思いをしたのだが、慣れてしまうと1時間分の編集が5時間くらいでできる。

とはいえ、画面をにらみっぱなしなので、消耗するのは仕方ない。
もっと使い易いソフトもあるのだろうけど、手持ちのモノでやるしかないので、気合いで処理。

DVDプレイヤーで見れるようにするには、iDVDというソフトで書き込むのだが、それで作ろうとすると焼くのにエラい時間がかかってしまう。
とうてい間に合わないので、データのまま焼いて渡す予定。
すまないがパソコンで見て下さいな。

「わさいぶ(はなまる)」は、こうやって映像で見直してみると、足りないところが多くあったことに改めて気付く。

もちろん許された時間の中でやれることは全部やったのだ。
そのことに関しては全く恥じるところがない。たしかに全部やった。
やったのだが、しかし、エンターテイメントとするには殺陣の勢いも足りず、 感情表現も分かり易く前面に出てきているわけではない。

物語は単純なもので大したことはしていないのだが、 そういうものであればあるほど「単純に面白い」ものにするために、技術的なハードルが上がるのだな。

当時も何度も言ったのだが、あの本が書けなければたぶん今頃は演劇を続けていなかったと思うので、そういう意味では自分にとって非常に大事な舞台だった。
けど、しかし、作品のハードルを無闇に上げてはいけない、と改めて反省。
ハードルを上げているつもりが無かった、というのが、なおさら悪い。

「叩けば、音は聞こえる」の方は、自分でいうのもなんだが面白かった。
滑舌もずいぶん良くなったように思うし、感情の見せ方もそんなにそんなに悪くない。
もちろん、時間が許すなら、まだまだ直すべきところはあるわけだが、この辺りまで行ければ良しとしていいのではないか。

死者の声を聞こうとする、という服喪の儀礼にも適っていたように思う。

2011/02/24

前期試験引率。

明日は国公立大学の前期試験。
山形大学工学部を受験する生徒が何人かいるので、引率で米沢に来た。

引率とはいっても、受験生はJRを使って自力で米沢に来るので、宿舎で待ち受けるという形の引率。大切な受験生を車に乗せるわけにはいかない。

全員揃ったところで、学校まで歩いて下見。
道路が狭く、歩道が無いところも多いので危険度が高い。雪も解け残っており、滑ったりもする。

道路の端を一列に並んで歩いていると、ドラクエのパーティーのようだ、と生徒がいう。
死んだら棺桶引きずる感じですかね、とか。
そんなことを言ってると、道すがら教会が見える。
ここで復活じゃない?とか、言ってみる。

30分くらいかかって大学に到着。
生協の学生くんが構内を案内してくれる。
慣れないらしく、初々しい。微笑ましく思う。
こらこら、噛みまくりだよね、とか言わないの。

帰りにコンビニに寄って、食料を調達。
ふくだ亭という食堂に寄って少し早い夕ご飯。ボリュームがあっておいしい。
親爺さんがわざわざ見送って生徒たちを激励して下さる。
感謝。

さて、最後までしっかり勉強して合格してくれることを祈ろう。
俺は化学しか教えられないけど。

ホームページも引っ越してみます。

cool onlineに過去日記やら脚本やら置いていたのですが、googleの方に移してみようと思います。
広告が出ないのが、とりあえず大きいかなと思いました。

近況。
部活は老人ホームで上演させていただくことになっています。
演目は「Isーアイズー」(岡村多佳子 作)です。
最初はローズむらやまさんでの上演だけだったのですが、話が広がって来て
ソーレ寒河江さんや、ニチイケアセンター村山さんでも上演させていただけることになりました。
ちょっとしたツアーが組めます(笑)
とにかく、上演機会が多いということはありがたいことです。お客様の目にさらされて、初めて役者は上手くなっていくものだと思います。

現状ですが、とりあえずお見せできるところまでは辿り着いています。
なにぶん、経験が浅いもんですから、次から次へと治すべきところが出て来るわけですが、伸び代がたくさんあるというのは、幸せなことでもあります。

役者の個性が上手く活かせると良いなぁ。

サムライズは6月に上演予定。
まだ正式には発表できないですが、織田信長がチャート式日本史を手に入れてしまう、あの作品です。
近藤は織田信長役。
戦国時代って、そんなに知識がなかったので、ひたすら信長関係のものを取り入れています。
江の豊川悦司は恰好良かったですな。
明智光秀に謀反を示唆するところは、これは、とても良い。
GOEMONの中村橋之助も素晴らしく良かったです。

近藤は、どうも姿勢が前屈みになってしまうクセがあるので、それを何とかしなければ。
肩甲骨が内側に入ってしまう。

学校は受験対策に追われる日々。
明後日は前期試験なので、ようやく一段落か。
卒業証書の判子を副担任団で行なった。Yシャツの袖に朱肉がついてしまった。

2011/02/12

日記引っ越します。

ずいぶん長い間お世話になっていた日記鯖だが、その役割を終えたとのことで、閉じられるらしい。
10年近く不定期に日記を書き連ねていたことになる。
10年かぁ、と少し感慨にふけるが、 googleの方に引っ越すことにした。

これまでのバックアップは自力でやってね、ということだ。
それはなかなかの労力だわね。

一応、テストも兼ねてこのような投稿をしてみよう。